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あなたはどれくらいイエス様を愛していますか

はじめに

「あなたはどれくらいイエス様を愛していますか?」

ドキッとする質問ではないでしょうか。

現代、一生懸命なクリスチャンは間違ったクリスチャンであるという風潮が広がっています。

私もかつてそう思っていました。そう教えられていたからです。

しかし、本当にそうでしょうか。

イエス様と永遠に暮らせるとしたら?

ヨハネの福音書
14:2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
14:3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである

ずばり尋ねます。
しゅの家に住む権利を得るためなら、あなたはいくらまで支払いますか?

もちろん皆さん、全財産を支払ってでもその権利がほしいと答えるでしょう。それどころか、残った時間もすべて捧げて、その権利を手に入れたいと答えるでしょう。

しかし、実際にそうしているでしょうか

イエス様と暮らすことに、本当に全力を尽くしてる?

先に費用を計算しておかなかった私たち

イエス様は、先に費用を計算するよう、私たちに教えておられます。

ルカの福音書
14:28 あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。
14:29 そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、
14:30 『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。
14:31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。
14:32 もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。
14:33 それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない

自分の財産をことごとく捨てきる者でなくては、弟子となることはできない。そうはっきりと書かれています。

弟子とは、牧師や宣教師のことではありません。全クリスチャンのことです。

本来、私たちは洗礼を受けて信仰告白をする前に、この費用を計算しておかなければならなかったのです。

思い出してください。
しゅを知る前の私たちは、滅びに向かって歩んでいました。犯してきた罪に対して、言い逃れのできない状態でした。

そんな絶望的な状況に、イエス様が来てくださったのです。「この人の罪は私が負います」そう言って、代わりに十字架で死んでくださったのです。

このことを知ったとき、私たちは涙を流して感謝し、この方に従うことを選んだはずです。この方のためなら、すべてを投げ打ってもいい、そう思ったはずです。

その価値観を、ずっと心に留めておくようにしゅは教えられたのです。
それを忘れてしまうなら、私たちは簡単に倒れてしまうからです。

ルカの福音書
8:13 岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。

試練は突然やって来ます。
「財産を捨てて、私について来なさい」と言われたとき、信仰を捨てないようにするには、天国の価値を先に計算しておくことが必要なのです。

天国の価値

マタイの福音書
13:44 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
13:45 また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。
13:46 高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。

天国は、持ち物を全部売り払ってでも手に入れるようなものだとイエス様は教えられました。
この価値観に、私たちは一度、同意したはずです。

それなのに、いつの間にか、自分の時間や財産が惜しくなってはいないでしょうか。

思い出してください。
私たちを買い取るために、しゅは何を支払ってくれたでしょうか。
しゅの支払ってくださった代価は、決して安いものではなかったはずです。

私たちを買い取るための代価は、決して安いものではなかった

自分を捨てて、従っておいで

ルカの福音書
9:23 それから、みんなの者に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい
9:24 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを救うであろう。

イエス様は、自分を捨てて、従っておいでと招いておられます。

「それは喜びを奪う教えだ!」そう思うでしょうか。
するとあなたの喜びは、イエス様に従うことにではなく、世にあるのでしょうか

誰にもだまされないでください。
イエス様に従うことは、最高の喜びをもたらします。

まずはやってみてください。何かを捨てて、しゅに仕えることは、必ずあなたに良い結果を生むでしょう。金銭や名誉、学歴や安泰よりも、もっと良い結果です。

主に従うことを、一体誰が不幸なことだと教えたのか

おわりに

あなたはどれくらいイエス様を愛していましたか?
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、イエス様を愛していましたか?
富も時間も、すべてをささげるほどに、イエス様を愛していましたか?

もしそうでなかったなら、素直にイエス様に告白してみてください。
「私はあなたの犠牲と、あなたのくださる永遠の命を、自分の財産や野心よりも、低く見積もっていました。もう、こんな価値観でいたくありません」
イエス様は怒らずに聞いてくださいます。それどころか、あなたの真の悔い改めを見て、喜んでくださるでしょう。

そうやって、いつもイエス様に洗っていただきましょう。洗っていただくことをしないなら、私たちはイエス様と何の関係もない者になってしまいます。

コリント人への手紙 第一
6:20 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。

私たちの本当の喜びは、生き方を変え、しゅに仕えることにあります。「それは喜びを失う生き方だ」と言う人がいても、私は耳を傾けません。
なぜなら、本当の喜びを、すでに知っているからです。

全員が招かれていますが、皆が応答するわけではありません。
聖書に書かれた本当の愛を取り戻しましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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