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従わない人も救われるのか
はじめに
どんな人であっても、恵みにより、信仰によって救われます。
これは聖書を見れば明らかであり、否定の余地はありません。
「では、従わない人も救われるの?」そんな疑問を持つ方もおられるかもしれません。
これはとても大切なことですから、聖書からきちんと確認してみましょう。
アブラハムの信仰
信仰と一概に言っても、様々な信仰があります。
世の宗教を見れば、たくさんの間違った信仰が存在することがわかります。
聖書は、アブラハムの信仰に倣う人に、救いが保証されると教えています。
ローマ人への手紙
4:16 このようなわけで、すべては信仰によるのである。それは恵みによるのであって、すべての子孫に、すなわち、律法に立つ者だけにではなく、アブラハムの信仰に従う者にも、この約束が保証されるのである。アブラハムは、神の前で、わたしたちすべての者の父であって、
アブラハムは私たちの信仰の父祖であり、その子孫とは私たちです。
ガラテヤ人への手紙
3:29 もしキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである。
ガラテヤ人への手紙
3:7 だから、信仰による者こそアブラハムの子であることを、知るべきである。
義と認められ、神の子とされるのは、アブラハムの信仰に倣う人だけです。
ローマ人への手紙
4:13 なぜなら、世界を相続させるとの約束が、アブラハムとその子孫とに対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるからである。
では、約束を保証するアブラハムの信仰とは、一体どのようなものでしょうか。
それは、「何もかも捨てて従う信仰」です。
何もかも捨てて従う信仰
創世記
12:1 時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。
主がアブラハムに声をかけられたとき、アブラハムは行き先さえわからないまま、従いました。
ヘブル人への手紙
11:8 信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。
「主に従うことが自分にとって一番である」と信じたのです。
アブラハムの試練
試練のとき、アブラハムは何もかも捨てて従う信仰があることを証明しました。
ヘブル人への手紙
11:17 信仰によって、アブラハムは、試錬を受けたとき、イサクをささげた。すなわち、約束を受けていた彼が、そのひとり子をささげたのである。
この試練は、私たちにもやって来ます。
マタイの福音書
19:21 イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
19:22 この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
私たちも立ち去るでしょうか。
そうであってはいけません。
ルカの福音書
8:13 岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。
私たちが信仰を捨てないようにするには、「主に従うことが自分にとって一番である」と言えるようになっておく必要があるのです。
何もかも捨てて従う
ある人は「これはひどい話だ」と思われるかもしれません。
かつての私も、そう思っていました。
騙されていたからです。
けれど、もう騙されません。
何もかも捨てて主に従うことは、人に最高の喜びをもたらします。
マタイの福音書
4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
4:20 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
ルカの福音書
5:27 そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
5:28 すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。
私はすでにこの喜びを知っています。
あなたはどうですか?
誰もが、この喜びに招かれているのです。
マタイの福音書
16:24 それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
あなたは、主に従うことが自分にとって一番であると信じますか?
信じる者になりましょう。
おわりに
従わない人も救われるのか。
その答えは、じつははっきりと聖書に書いてあります。
ヨハネの福音書
3:36 御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。
私たちの救いを保証する信仰は、アブラハムと同じ信仰、何もかも捨てて従う信仰だけなのです。
この信仰は、私たちがあらかじめ持っていたものではなく、神からの恵みです。
何もかも捨てて従う信仰をまだ受け取っていない人は、十字架を見上げ、主の支払ってくださった代価を思い出してください。
ヨハネの福音書
15:13 人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
最高の愛が、私たちに注がれたのです。
その死を、私たちはむだにしてはいないでしょうか。
コリント人への手紙 第二
5:15 そして、彼がすべての人のために死んだのは、生きている者がもはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえったかたのために、生きるためである。
私たちが新しい生き方をするために、主は死んでくださったのです。
「従わない人も救われる」という教えは、偽の教えであって、聖書の教えではありません。主流派の教えだからといって、聖書どおりとは限りません。
これに騙されるなら、私たちは命を失うでしょう。
マタイの福音書
10:38 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。
10:39 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。
あなたは、自分のために生きることをやめ、永遠の命を生きていますか?
偽りの教えを捨て、聖書から本当の喜びを取り戻しましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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