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律法は律法ではない

はじめに

律法は律法ではない。どういう意味でしょう。

実のところ、ヘブライ語の「律法(トーラー)」という単語には、「律法」という意味は全くないそうです。

本来なら、「教え」とするのが正しいそうです。

「律法」「教え」、確かに全然印象が違ってきます。

「律法」と言われると、決まりに縛られて、行動を監視されているようで、びくびくしてしまいます。

ところが、「教え」と言われるなら、やる気と感謝があふれてきます。

トーラーとは何か

もしあなたが陸上選手だとして、「速く走るための教え」という本があったなら、喜んで飛びつくでしょう。そこに書いてあることに、自ら従おうとするでしょう。

それが「トーラー」なのです。

トーラーは、私たちを神の似姿に戻すための教えです。

創世記
1:27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

マタイの福音書
5:48 それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

完全とは何かを学ぶとき、私たちは完全を目指して走れるのです。
トーラーを学べば学ぶほど、私たちは神の似姿を回復していくのです。

教えを好む選手は、どんどん速くなる

トーラーは律法ではない

残念ながら「律法」という言葉で浸透してしまいましたが、本来トーラーには「律法」という意味はありません。

原語の意味は「教え」です。

しゅはトーラーが何を教えていると言っていますか?

マタイの福音書
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
22:38 これがいちばん大切な、第一のいましめである。
22:39 第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。
22:40 これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

トーラーの教えは、神を愛する方法と、人を愛する方法です。

これは「律法」なんかではありません。本来の私たちの姿を取り戻すための、教科書です。私たちを回復させるための、処方箋なのです。

トーラーは私たちを回復させる処方箋

弟子たちの認識

弟子たちは何と言っているでしょう。

ガラテヤ人への手紙
5:14 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

ヤコブの手紙
2:8 しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。

しゅと同じです。
弟子たちはみな、この教えを愛しているのです。

一方、現代の私たちはどうでしょうか。
間違った神学によって、律法を嫌いにさせられてはいないでしょうか。

律法の役割

律法の役割は何でしょう。

律法を守って義とされようとすること。これは間違いであると聖書は教えます。

ガラテヤ人への手紙
3:11 そこで、律法によっては、神のみまえに義とされる者はひとりもないことが、明らかである。なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。

憎しみを起こすなら、それは殺人と同罪です。
情欲の目で人を見るなら、それは姦淫かんいんと同罪です。
妬みを起こすなら、それは隣人のものをむさぼることと同罪です。

厳しい水準ですが、まずは、この教えに同意し、服従しなければなりません。

あなたが神に忠実であろうとするなら、必ず、自分の力では律法を守れないことを悟り、苦しむときが来るはずです。

ハレルヤ! そのときこそ、本当の救いのときです。
そのようにして、私たちは救い主の必要性をはっきりと悟る必要があるのです。

ガラテヤ人への手紙
3:24 このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである

これこそが、律法の役割です。
律法は、私たちにキリストの必要性を悟らせるための養育係だったのです。

ルカの福音書
5:31 イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
5:32 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。

キリストは、私たちを悔い改めさせるために来てくださいました。
この方の恵みによって、私たちは律法を守ることが可能となるのです。

ローマ人への手紙
10:4 律法が目指すものはキリストです。それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

おわりに

律法は律法ではありません。
これは私たちを回復させるための教えです。

陸上選手が「速く走るための教え」を恵みだと思うように、私たちも神の教えを恵みだと思えばいいのです。

この教えに従って歩むなら、私たちからキリストの必要性がなくなることはありません。

反対に、律法を無視して生きるなら、私たちはキリストを必要としなくなるでしょう。

律法を守る人も、守らない人も、これだけは覚えてください。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです
3:5 あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。
3:6 キリストにとどまる者はだれも、罪を犯しません。罪を犯す者はだれも、キリストを見たこともなく、知ってもいません

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

律法に違反することはであり、そのような人はキリストを知らないのです。

もう、律法を憎む必要はありません。
間違った神学を捨てて、聖書の教えに立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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