私たちの神とは誰か
はじめに
私は三位一体の神を信じています。
それは、父なる神、子なる神、聖霊が、一つの神であるということです。
三つが一つであるということを、人の頭では理解することができません。理解できると思うなら、それは神の存在を、人の脳に入る程度に矮小化しているだけに過ぎません。
さて、ここで質問です。
人として来られる前のイエス様は、一体どんな方で、何をしておられたのでしょうか。
これを正しく知ることで、私たちの目は大きく開かれます。
人として来られる前のイエス様
聖書にはこうあります。
人として来られる前のイエス様は、神の御姿そのものであり、神として在ったと書かれています。
皆さんは、このことを正しく理解していたでしょうか。
以前の私は、漠然とですが、旧約聖書の神様を、イエス様とは異なる神だと考え、それを「父なる神」と呼んでいました。
しかし、そうではないのです。
旧約聖書の神様
奴隷であった民をエジプトから救い出し、荒野で試練を与えた方は誰でしょうか。
不自然な肉欲を行っていたソドムやゴモラを滅ぼした方は誰でしょうか。
聖書は次のように語っています。
旧約聖書に出てくる神は、イエスである。これが、弟子たちの正しい認識です。
人として来られたイエス・キリスト
神の概念を完全に捉えることはできません。
しかし、こう考えてみてはどうでしょう。
地上に来られる前のイエス様は、神の御姿そのものでした。
しかし、人として来られたときは、神としての在り方を捨てられたのです。
それは、私たちの苦しみを理解するためであり、私たちを助けるためでした。
私たちと同じになったイエス様は、人そのものでした。私たちと同じように、肉体の試練があり、苦しみがあり、死があったのです。
そしてよく見てください。
私たちと同じだからこそ、神を神として崇めたのです。
神は唯一である
三位一体を正確に理解することはできませんが、少なくとも次の認識を、私たちは持っていなければなりません。
神は唯一。父、子、聖霊という別々の神がいるという思想は、三神論であって、聖書の教えではありません。
神は唯一です。それは、創造主であり、御霊なる助け主であり、主イエス・キリストです。
神様のすごいところは、人として地上に来られても、天においては不在にならないということです。
同じく、助け主として人の中に来られても、やはり天においては不在にならないのです。
この、天で不在とならない神を、イエス様は父と呼び、助け主と呼んだのです。
聖霊とイエス様は、別々の神ではありません。イエス様の一部でもありません。
私たちのうちに住まわれる聖霊は、イエス様そのものなのです。この認識がなければ、本物のクリスチャンではないと聖書は教えます。
主は、私たちとともにおられるのです。
認識の回復
今、私たちの認識を回復しなければなりません。
旧約聖書に出てくる神様は、イエス様なのです。もちろん、それは父なる神であり、聖霊でもあります。しかし、その神がイエス様であることを決して忘れてはいけません。
なぜこれが大切なのでしょうか。
それは、旧約時代も、新約時代も、神の教えは同じであり、救いの方法は変わっていないことを悟るためです。
「信仰」と訳されているこの言葉は、ヘブライ語の「エムナ」であり、その意味は「真実」また「忠実」です。驚くことに、「信じる」という意味はありません。
「信じるだけ」という教えは、聖書本来の教えではないのです。
旧約時代も、新約時代も、私たちは唯一の神への忠実によって生き、不忠実によって滅ぶのです。
おわりに
私たちの神とは誰か、真理を回復できたでしょうか。
私たちの神とは、世の初めから今に至るまで、イエス様なのです。
ゆえに、この方の義が、いつの時代も一貫していることを覚えてください。
主を愛するとは、戒めを忠実に守ることなのです。それは難しいことではありません。主のしてくださった愛の行為が、私たちに自発的に戒めを守らせるからです。
すべての救いは、真理の回復から始まります。
そのためにも、間違った神学や、教派の教えを捨て、聖書から学んでください。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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