重荷ある信仰からの脱却
はじめに
主に仕えることが重荷に思われることはありませんか?
聖書に従うことが負担に思われることはありませんか?
正直に申し上げましょう。私はありました。
なぜでしょうか。
騙されていたからです。
私たちを騙そうと、嘘を吹き込んでくる者があって、私たちの心を揺さぶってくるのです。
今日、この嘘から脱却し、本当の喜びを手に入れましょう。
下心はありませんか?
たくさん祈らなければ。そう思うことはないでしょうか。
たくさん献金しなければ。また奉仕もしなければ。そう思うことはないでしょうか。
その心は?
神に気に入っていただこう──、そういう心が、私たちにはあります。
もちろん、それ自体は悪いものではありません。
神様を喜ばせようとするのは良いことです。
しかしそれだけですか?
神に気に入っていただけたら、あれが叶う、これが叶う。
そのような下心が私たちにはないでしょうか。
玉の輿
財産目当てに結婚することを「玉の輿」と言います。
私たちはどうでしょうか。
十字架への感謝によって御子と婚約した私たちですが、いつの間にか財産目当てに変わってはいないでしょうか。
永遠の命を得るため。天国に入るため。
もしそうであれば、それは財産目当ての婚約であり、玉の輿を狙った、偽りの愛です。
一度考えてみましょう
なぜ、礼拝するのですか?
なぜ、献金するのですか?
なぜ、断食や奉仕をするのですか?
正直になってみると、それが神様へのアピールだったことはないでしょうか。
贈り物は十分だっただろうか?
アピールは足りていただろうか?
何か怒らせることはしなかっただろうか?
神様の目から見た私の今の点数は?
こんなことを続けていては、いつまでも平安の実を結べません。
それは偶像礼拝のやり方です。
神の愛は不変
神様の愛は不変です。
私たちが罪人であろうが、義人であろうが、それは変わりません。
私たちがどんな状態であっても、神様は最大限に愛してくださるのです。
ゆえに、自己アピールをして、愛を増し加えようなどと考える必要はありません。それは愛を増し加えないばかりか、神様を悲しませるだけです。
行いや達成が私たちを救うのではない
主の隣で十字架についた男を思い出してください。
この男はただ、キリストを信じる者になったので、救いが保証されたのです。
行いがそれに何かを付け足すことはありません。
行いは、信じていたことの証拠です。
男に時間さえあれば、彼は行いによってそれを証明したことでしょう。
愛がなければ意味がない
愛がなければ、すべては無益です。
財産目当ての偽りの行いは、神様を悲しませるだけなのです。
もう、自己アピールをする必要はありません。
十分に愛されているからです。
ですから、偽善者にならず、本心によって行動しましょう。
好きな人のために髪を編んだり、金の飾りを付けたり、服装を整えたりする人の気持ちはわかるでしょう。
それなら、私たちが花婿のためにふさわしい人になろうとするのは当然ではありませんか。
このような用意を、当たり前にする人にこそ、本当の愛があるのです。
おわりに
従うことが重荷に感じられるのは、サタンに騙されているときです。
主との婚約が、財産目当てになり始めているときです。
サタンの嘘を振り払って、純粋な愛を取り戻しましょう。
私たちが神様に従うのは、ただ神様を愛しているから、それだけだったはずです。
それがいつの間にか、天国に入るためとか、永遠の命を受けるためという、偽りの動機に変えられてしまったのです。
あなたは神を愛しますか?
クリスチャンなら、おそらく「はい」と答えるでしょう。
では、どうやって愛しますか?
十戒が愛に要約されることは、聖書で何度も語られているとおりです。
だからこそ、十戒を守るのです。
「十戒は愛に要約されるので、もはや十戒を守る必要はない」と言う人がいますが、こんなわかりやすい嘘に騙されてはいけません。
十戒が愛に要約されるからこそ、十戒を守るのです。
神様を愛する人は、神様のくださったこの愛の教えを、喜んで守っています。
これを呪いや鎖であるかのように思わせる嘘から逃れてください。
「戒めを守れば救われる」というのが嘘であるように、
「戒めを守る必要などない」というのも嘘なのです。
本当のクリスチャンは、愛のゆえに、戒めを守らずにはいられないのです。
そうなっていないなら、神の宮となっていません。
嘘から逃れることで、十戒は自由の律法に変わります。
何を達成する必要もありません。
何をアピールする必要もありません。
ただ、本心から湧き上がる愛によって、行動すればいいのです。
初めのうち、それは自分勝手な行動でしかないのかもしれません。
けれど、あなたが神様を喜ばせようと聖書から学ぶなら、その行いは必然的に善いものになっていくでしょう。
そのためにも、偽りの神学を捨て、聖書から学びましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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