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赦されない罪とは

はじめに

聖書は、ゆるされる罪と、ゆるされない罪があると教えます。

ゆるされない罪とは何でしょうか。

ご一緒に、聖書から調べてみましょう。

そもそも、罪とは何か

まずは、罪とは何かをはっきりさせておきましょう。
クリスチャンであっても、罪とは何かを理解していない方がおられます。

ヨハネの手紙 第一
3:4 罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

殺すな、姦淫かんいんするなとあるように、罪とは、神の律法である十戒じっかいに違反することです。

では、何もしなければ罪を犯さないということになるのでしょうか。

それも違います。

ヤコブの手紙
4:17 人が、なすべき善を知りながら行わなければ、それは彼にとってである。

何もしない罪というものがあります。
律法の精神は、愛です。ですから、神と隣人に対して愛を行わないなら、それは罪なのです。

新しい契約

聖書は、しゅ新しい契約を結ぶなら、私たちの罪はもはや思い出されないと教えます。

ヘブル人への手紙
8:10 わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
(途中省略)
8:12 わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。

この契約を受けるには、神の律法である十戒じっかいへの同意が必要です。

ローマ人への手紙
6:17 しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して
6:18 罪から解放され、義の僕となった。

神の律法を無視してきた私たちが、十戒じっかいに立ち返り、御心みこころに添った歩みを始めること、それが悔い改めです。

この悔い改めがある限り、私たちは何度でもゆるされると聖書は教えます。

ルカの福音書
17:3 あなたがたは、自分で注意していなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、彼をいさめなさい。そして悔い改めたら、ゆるしてやりなさい。
17:4 もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい」。

ゆるされない罪

ところが聖書は、ゆるされない罪があると教えます。

マルコの福音書
3:28 よく言い聞かせておくが、人の子らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
3:29 しかし、聖霊をけがす者は、いつまでもゆるされず、永遠の罪に定められる」。
3:30 そう言われたのは、彼らが「イエスはけがれた霊につかれている」と言っていたからである。

ゆるされない永遠の罪とは何でしょうか。

ある人は、「悪霊の追い出しについて『ベルゼブルによるものだ』と人々が罵ったことだ」と教えます。

確かに、しゅはそのことをきっかけに語られました。
しかし、それだけでしょうか。

マタイの福音書
12:31 だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない
12:32 また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない

聖霊に対して言い逆らう者

肉の欲に従い続けること、それが聖霊に逆らうことです。

ガラテヤ人への手紙
5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。

このようなことを行う者は、神の国を継ぐことはないと教えられています。

ガラテヤ人への手紙
5:18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない

ゆるされない罪とは、このことです。
御霊みたまに逆らい、罪を犯し続けるなら、その人は御国みくにから取り除かれてしまうのです。

ここで、「律法の下にいない」という言葉にも注目してください。

文脈からわかるように、律法の下にいないとは、律法の文字などなくとも、御霊みたまによって肉の欲から脱している状態を指します。

けっして、律法を守らない人のことではありません。
御霊みたまによって、律法の要求は満たされるのです。

ローマ人への手紙
8:4 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。

律法を守りたいという欲求がないなら、それは聖霊が宿っていない証拠です。

そのような人は、油を用意しておかなかった五人の愚かな乙女のように、戸の外に閉め出されてしまうことを覚えてください。

しゅはどんな罪をあがなってくださったのか

しゅ罪のための生けにえとなって、私たちのために死んでくださいました。

それはどのような罪をあがなうためだと教えられていたでしょうか。

民数記
15:27 もし個人が気づかずに罪に陥ってしまったのなら、一歳の雌やぎ一匹を罪のきよめのささげ物として献げなければならない。
15:28 祭司は、気づかずに罪に陥ってしまった者のために、主の前で宥めを行う。彼のために宥めを行い、その人は赦される。
15:29 イスラエルの子らのうちのこの国に生まれた者でも、あなたがたの間に寄留している者でも、気づかずに罪を行ってしまった者には、あなたがたと同一のおしえが適用されなければならない。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

知らずに犯した罪です。
罪のための生けにえあがなうのは、過失なのです。

続きを見てみましょう。

民数記
15:30 この国に生まれた者でも、寄留者でも、故意に違反する者は主を冒瀆する者であり、その人は自分の民の間から断ち切られる。
15:31 主のことばを侮り、その命令を破ったのであるから、必ず断ち切られ、その咎を負う。」

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

このとおり、故意に違反する者は、あがなわれません。

大切なことですので、覚えてください。
これは十字架のあがないにおいても同じなのです。

ヘブル人への手紙
10:26 もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。
10:27 ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。
10:28 モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。
10:29 まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。

新共同訳1987

聖霊をけがす罪とは、このことです。
故意に罪を犯し続けるなら、その罪はゆるされないのです。

だからこそ、しゅは次のように叫ばれました。

ルカの福音書
23:34 ──父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです──

しゅは私たちの罪を、過失にしてくださったのです。
ご自分を殺そうとする者たちを、なおも愛し、救おうとされたのです。

この愛とあわれみを、けっしてむだにしてはいけません。

故意に罪を犯し続けること

故意に罪を犯し続けるなら、罪のための生けにえはもはやありえません。

十戒じっかいを無視したり、故意に逆らうことは、ゆるされることではないのです。

ヨハネの手紙 第一
5:16 もしだれかが死に至ることのない罪を犯している兄弟を見たら、神に願い求めなさい。そうすれば神は、死に至ることのない罪を犯している人々には、いのちを賜わるであろう。死に至る罪がある。これについては、願い求めよ、とは言わない。

兄弟について、「彼は罪を犯しましたが、どうかその過失をゆるしてください」と祈ることはできても、「彼は十戒じっかいに従う意思がありません、どうかその罪をゆるしてください」と祈ることはできないのです。

十戒じっかいに逆らう人の罪は、誰も執り成すことができないことを覚えてください。

おわりに

ゆるされない罪とは何か、おわかりいただけたでしょうか。
それは、御霊の導きに逆らって、故意に罪を犯し続けることです。
言い換えるなら、不法の精神です。

悔い改めるなら、どんな罪もゆるされます。
しかし、悔い改めず、御霊みたまに逆らい続けるなら、罪のための生けにえはもはやありえません。

この点で、にせの確信を握りしめたクリスチャンは、とても危険な状態にあります。
なぜなら、罪を放置しながらも、永遠の命をとどめていると思い込んでいるからです。

ヨハネの手紙 第一
3:15 あなたがたが知っているとおり、すべて兄弟を憎む者は人殺しであり、人殺しはすべて、そのうちに永遠のいのちをとどめてはいない

私たちに必要なのは、悔い改めと、信仰です。
些細ささいな罪でも放置せず、しゅが私たちを罪から救い出し、義に生きるようにしてくださると信じて歩むことです。

このような人は、すべての罪をゆるされ、天の門をくぐることになるでしょう。
あなたはそうなっているでしょうか。

間違った教えを捨て、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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