イエス・キリストとは
はじめに
聖書は、イエスこそ、生ける神の子、キリストであると教えています。
実のところ、現代の多くの人が、イエス・キリストを誤解して捉えています。
というのも、神学を通してしか、この方を見ていないからです。
今、神学を通さずに、聖書のみでこの方を見てみましょう。
主の本当の姿を知るなら、格段に聖書が読みやすくなるはずです。
キリストの意味
キリストとは「油を注がれた者」を意味する言葉で、ヘブライ語の「メシア」と同じです。
古代イスラエルでは、預言者や祭司、また王に油を注ぐ習慣がありました。イエス・キリストは、そのすべての役職を持った、キリストの中のキリストということです。
王イエス、預言者イエス、大祭司イエス。それらをいっぺんに表す言葉が、キリスト・イエスなのです。
特別な名
イエス・キリストには特別な「名」があります。
その特別な名とは、「言葉」です。
言葉
ギリシャ語で「ロゴス」、ヘブライ語で「ダバール」、アラム語で「メムラ」、そして日本語では「言葉」。それがイエスなのだと聖書は教えます。
なぜでしょうか。
世界が言葉によって創られたからです。
この世界は、「光あれ」という言葉によって始まりました。
すべての創造は、言葉によって行われたのです。
イエス・キリストは創造主です。
すべての人間が、例外なくこの方の創造によって存在しているのです。
ゆえに、日本人である私たちも、この方に目を向ける必要があるのです。
イエス・キリストは、外国の神、異国の王ではありません。
私たちの神であり、私たちの王なのです。
神の御子
確かに、キリストは御子と呼ばれ、先だって生まれたと表現されています。
しかし、けっしてこの方が被造物であり、神から生まれたというのではありません。
これらの言葉は、キリストが初めから在ったことを宣言しています。
「御子」というのは、人として来られた方の役割を表しており、「先だって生まれた」とは、初めから在ったことを人間的に表現しているのです。
神は唯一です。
その神とは、キリスト・イエスです。
これが聖書の教えです。
神は唯一
これはイスラエルの最も大切な教えです。
使徒たちは当然、この教えを知っていました。
その使徒が、こう言うのです。
また、イエスご自身もこう言っています。
このことは、私たちにとって不思議に感じられます。
というのも、イエスご自身が、天におられる神を「父」と呼んでいるからです。
イエスが神を父と呼ぶ理由
まず覚えてください。
キリストは、神としてのあり方を捨てて人となり、私たちと同じになられたのです。
私たちと同じになったからこそ、神を父として崇めたのです。
しかし、神は唯一です。
この神様のすごいところは、人として地上に来られても、けっして、天では不在にならないということです。
この不在にならない存在を、イエス様は「父」と呼んだのです。
神は唯一です。
人には理解できなくとも、父と御子とは一つです。
旧約の神とイエス・キリスト
多くのクリスチャンが、旧約聖書の神と、イエス・キリストを、分断して考えています。
しかし思い出してください。
神は唯一であり、その神とはキリスト・イエスです。
弟子たちは、旧約の神がイエス・キリストであることを、ちゃんと理解していました。
神がたくさんいるのではありません。神はお一人。教えは一つです。
ゆえに、私たちは旧約聖書の教えを無視することはできません。
御子は世界が創られたときから、すべてを管理しておられる神だからです。
おわりに
イエス・キリストとは、私たちの唯一の神です。
聖書に出てくる神とは、すべてこの方のことなのです。
父、御子、御霊。この三つは同じ方を指しています。
三位一体を人の頭で完全に理解することはできませんが、神がたくさんいると思うなら、それは間違いです。
主は御子であると同時に、父であられます。
葡萄の木であると同時に、農夫であられます。
花婿であると同時に、その父親であられます。
私たちのうちにいる聖霊であると同時に、天におられる大祭司でもあるのです。
このような方を、私たちは主と呼んでいるのです。
旧約聖書の神を、この方と区別する教えは、多神教に近い考え方から来ています。
神は唯一。この教えを回復しなければなりません。
間違った教えを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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