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イエス・キリストとは

はじめに

聖書は、イエスこそ、生ける神の子、キリストであると教えています。

実のところ、現代の多くの人が、イエス・キリストを誤解して捉えています。
というのも、神学を通してしか、この方を見ていないからです。

今、神学を通さずに、聖書のみでこの方を見てみましょう。
しゅの本当の姿を知るなら、格段に聖書が読みやすくなるはずです。

キリストの意味

キリストとは「油を注がれた者」を意味する言葉で、ヘブライ語の「メシア」と同じです。

古代イスラエルでは、預言者祭司、またに油を注ぐ習慣がありました。イエス・キリストは、そのすべての役職を持った、キリストの中のキリストということです。

王イエス、預言者イエス、大祭司イエス。それらをいっぺんに表す言葉が、キリスト・イエスなのです。

特別な名

イエス・キリストには特別な「名」があります。

ヨハネの黙示録
19:13 彼は血染めの衣をまとい、その名は「神のことばと呼ばれた。

その特別な名とは、「言葉」です。

ヨハネの福音書
1:1 初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。
1:2 このことばは初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4 このことばに命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

言葉

ギリシャ語で「ロゴス」、ヘブライ語で「ダバール」、アラム語で「メムラ」、そして日本語では「言葉」。それがイエスなのだと聖書は教えます。

なぜでしょうか。

世界が言葉によって創られたからです。
この世界は、「光あれ」という言葉によって始まりました。
すべての創造は、言葉によって行われたのです。

コロサイ人への手紙
1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。

イエス・キリストは創造主です。
すべての人間が、例外なくこの方の創造によって存在しているのです。
ゆえに、日本人である私たちも、この方に目を向ける必要があるのです。

イエス・キリストは、外国の神、異国の王ではありません。
私たちの神であり、私たちの王なのです。

神の御子みこ

コロサイ人への手紙
1:15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。

確かに、キリストは御子みこと呼ばれ、先だって生まれたと表現されています。
しかし、けっしてこの方が被造物であり、神から生まれたというのではありません。

ヨハネの黙示録
22:13 わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。

ヨハネの福音書
13:19 事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。起こったときに、わたしが『わたしはある』であることを、あなたがたが信じるためです。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

これらの言葉は、キリストが初めから在ったことを宣言しています。

御子みこというのは、人として来られた方の役割を表しており、「先だって生まれた」とは、初めから在ったことを人間的に表現しているのです。

神は唯一です。
その神とは、キリスト・イエスです。
これが聖書の教えです。

テモテへの手紙 第一
2:5 神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。

神は唯一

申命記
6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

これはイスラエルの最も大切な教えです。
使徒たちは当然、この教えを知っていました。
その使徒が、こう言うのです。

ヨハネの福音書
20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ

また、イエスご自身もこう言っています。

ヨハネの福音書
14:9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

このことは、私たちにとって不思議に感じられます。
というのも、イエスご自身が、天におられる神を「父」と呼んでいるからです。

イエスが神を父と呼ぶ理由

まず覚えてください。
キリストは、神としてのあり方を捨てて人となり、私たちと同じになられたのです。

ピリピ人への手紙
2:6 キリストは、神の御姿みすがたであられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず
2:7 ご自分をむなしくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

私たちと同じになったからこそ、神を父として崇めたのです。

しかし、神は唯一です。
この神様のすごいところは、人として地上に来られても、けっして、天では不在にならないということです。
この不在にならない存在を、イエス様は「父」と呼んだのです。

神は唯一です。
人には理解できなくとも、父と御子みことは一つです。

コリント人への手紙 第一
8:6 わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、わたしたちもこの主によっている。

旧約の神とイエス・キリスト

多くのクリスチャンが、旧約聖書の神と、イエス・キリストを、分断して考えています。

しかし思い出してください。
神は唯一であり、その神とはキリスト・イエスです。

ユダの手紙
1:5 あなたがたはすべてのことをよく知っていますが、思い起こしてほしいのです。イエスは民をエジプトの地から救い出しましたが、その後、信じなかった者たちを滅ぼされました。

聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会

弟子たちは、旧約の神がイエス・キリストであることを、ちゃんと理解していました。
神がたくさんいるのではありません。神はお一人教えは一つです

ゆえに、私たちは旧約聖書の教えを無視することはできません。
御子みこは世界が創られたときから、すべてを管理しておられる神だからです。

ヘブル人への手紙
1:2 ──神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた
1:3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。

おわりに

イエス・キリストとは、私たちの唯一の神です。
聖書に出てくる神とは、すべてこの方のことなのです。

父、御子みこ御霊みたま。この三つは同じ方を指しています。
三位一体を人の頭で完全に理解することはできませんが、神がたくさんいると思うなら、それは間違いです。

しゅ御子みこであると同時に、父であられます。
葡萄ぶどうの木であると同時に、農夫であられます。
花婿はなむこであると同時に、その父親であられます。
私たちのうちにいる聖霊であると同時に、天におられる大祭司でもあるのです。

このような方を、私たちはしゅと呼んでいるのです。

旧約聖書の神を、この方と区別する教えは、多神教に近い考え方から来ています。
神は唯一。この教えを回復しなければなりません。

間違った教えを捨てて、聖書に立ち返りましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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