死からの解放
はじめに
人は本能的に死を恐れます。死に縛られて生きているのです。
死の問題が解決されないと、私たちは自由になれません。
聖書だけが、その自由を与えてくれます。
この自由を、今日、本気で受け取ってみませんか。
死の奴隷
誰もが皆、将来必ず死ぬことを知っています。
そのため、無意識のうちに、私たちは死から遠ざかろうとして生きています。
過度な貯蓄、過剰な勉学、仕事中毒、エリート主義──
このようなものはすべて、死から遠ざかろうとして発生するのです。自分の将来を安定させ、できるだけ死なないために、人は人生の大半を費やしてしまうのです。
悲しいことです。
これでは、本当に充実した人生を送ることはできません。
けれどこの世界には、本当に充実した人生を送っている人たちがいます。
本物のクリスチャンがそうです。
「本物の」とわざわざ書いたのは、そうでないクリスチャンがとても多いからです。
これはもったいないことです。
世の人とはまったく違う生き方が可能なのに、それに気がついていないのです。
このような状態を、聖書は「奴隷」と表現します。
もう、こんな状態でいる必要はありません。
キリスト・イエスは、死の恐怖から私たちを解放するために、来てくださったのです。
もう新しい命に生きている
知っているでしょうか。
私たちはすでに一度死んで、新しい命に生きているのです。
キリストの死、それが私たちにも適用されたのです。
このことに気がついた人は、新しい命を生きることができます。
このような人は、もはや死を恐れることがありません。たとえ体が死んだとしても、目を覚ましたときには、再臨されたイエス様の前に立っているからです。
聖書は次のように教えています。
心配する人も、心配しない人も、一度死ぬことに変わりはないのです。
それなら、復活に目を向け、なくならないもののために働くほうが、よほど幸せな人生だとは思いませんか。
死から命に移るとは、そういうことなのです。
永遠の命を持つとは
この世で永遠の命を持っているとはどういうことでしょう。
それは、死の奴隷から解放され、「死んだらおしまい」という概念から完全に自由になっている状態です。
そのような人は、もはや自分のために生きる必要がありません。
死んでも大丈夫だからです。
時間的にも、精神的にも、余裕があるので、騙されても裏切られても構わないし、誤解されても気になりません。すぐに赦せるのです。
これが、死から解放されている人の状態です。
すべては、よみがえりを信じるかどうかにかかっているのです。
よみがえりを信じるなら、私たちの生活は劇的に変わるはずです。
もう、この世のために生きる必要がないからです。
すると、その人は何のために生きるようになるでしょう。
神と、隣人のためです。
これが解放であり、救いなのです。
だからこそ、神がイエスをよみがえらせたと信じるなら、救われると書いてあるのです。
おわりに
知識だけでこの救いを受け取ることはできません。
信じて、生き方を変えてこそ、この救いを受け取れるのです。
主のしてくださったことを知って、感謝しましょう。
私たちはもう、死の奴隷である必要はないのです。
もう、死を心配して、世に生きる必要はありません。
私たちは新しい命を生きられるのです。
このことを心から信じるなら、私たちは義に生きることができ、たくさんの実を結び、そして永遠の命に至るでしょう。
聖書をしっかりと読んで、この確信を握りしめましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。
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