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死からの解放

はじめに

人は本能的に死を恐れます。死に縛られて生きているのです。

死の問題が解決されないと、私たちは自由になれません。

聖書だけが、その自由を与えてくれます。

この自由を、今日、本気で受け取ってみませんか。

死の奴隷

誰もが皆、将来必ず死ぬことを知っています。
そのため、無意識のうちに、私たちは死から遠ざかろうとして生きています。

過度な貯蓄、過剰な勉学、仕事中毒、エリート主義──
このようなものはすべて、死から遠ざかろうとして発生するのです。自分の将来を安定させ、できるだけ死なないために、人は人生の大半を費やしてしまうのです。

悲しいことです。
これでは、本当に充実した人生を送ることはできません。

けれどこの世界には、本当に充実した人生を送っている人たちがいます。
本物のクリスチャンがそうです。

「本物の」とわざわざ書いたのは、そうでないクリスチャンがとても多いからです。
これはもったいないことです。
世の人とはまったく違う生き方が可能なのに、それに気がついていないのです。

このような状態を、聖書は「奴隷」と表現します。

ヘブル人への手紙
2:15 死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。

もう、こんな状態でいる必要はありません。
キリスト・イエスは、死の恐怖から私たちを解放するために、来てくださったのです。

もう新しい命に生きている

知っているでしょうか。
私たちはすでに一度死んで、新しい命に生きているのです。

ローマ人への手紙
6:4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである

キリストの死、それが私たちにも適用されたのです。
このことに気がついた人は、新しい命を生きることができます。

このような人は、もはや死を恐れることがありません。たとえ体が死んだとしても、目を覚ましたときには、再臨されたイエス様の前に立っているからです。

聖書は次のように教えています。

ヘブル人への手紙
9:27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、

心配する人も、心配しない人も、一度死ぬことに変わりはないのです。
それなら、復活に目を向け、なくならないもののために働くほうが、よほど幸せな人生だとは思いませんか。

死から命に移るとは、そういうことなのです。

ヨハネの福音書
5:24 よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである

永遠の命を持つとは

ヨハネの手紙 第一
5:13 これらのことをあなたがたに書きおくったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。

この世で永遠の命を持っているとはどういうことでしょう。

それは、死の奴隷から解放され、「死んだらおしまい」という概念から完全に自由になっている状態です。

そのような人は、もはや自分のために生きる必要がありません
死んでも大丈夫だからです。
時間的にも、精神的にも、余裕があるので、だまされても裏切られても構わないし、誤解されても気になりません。すぐにゆるせるのです。

これが、死から解放されている人の状態です。
すべては、よみがえりを信じるかどうかにかかっているのです。

ローマ人への手紙
10:9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。

よみがえりを信じるなら、私たちの生活は劇的に変わるはずです。
もう、この世のために生きる必要がないからです。
すると、その人は何のために生きるようになるでしょう。

神と、隣人のためです。

これが解放であり、救いなのです。
だからこそ、神がイエスをよみがえらせたと信じるなら、救われると書いてあるのです。

おわりに

知識だけでこの救いを受け取ることはできません。
信じて、生き方を変えてこそ、この救いを受け取れるのです。

しゅのしてくださったことを知って、感謝しましょう。
私たちはもう、死の奴隷である必要はないのです。

ローマ人への手紙
6:20 あなたがたが罪の僕であった時は、義とは縁のない者であった。
6:21 その時あなたがたは、どんな実を結んだのか。それは、今では恥とするようなものであった。それらのものの終極は、死である。
6:22 しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。
6:23 罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

もう、死を心配して、世に生きる必要はありません。
私たちは新しい命を生きられるのです。

このことを心から信じるなら、私たちは義に生きることができ、たくさんの実を結び、そして永遠の命に至るでしょう。

聖書をしっかりと読んで、この確信を握りしめましょう。
正しいのは、いつだって聖書だからです。

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