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スパークリングゴールド色のねずみ2


1つづきです。

ちょっと、違う視点からものごとを見ようと、最近脳科学の本やら東洋と西洋のそもそもの意識の成り立ちかたの違いを少し勉強してみたり、
なんとなく自分なりに答えにたどり着くように動いていたのだけど
ちょうどふわっと舞い込んだサイキックグループセッションへの参加権。そのドゥーガル氏に正面から質問をぶつけてみようと思った。

何が知りたいというわけではないけれど、その自分の失敗続きの状態を、なんとか打破する。とだけ決めて、それに向けて刻々と準備は始まったのであった。

個人セッションとかカウンセリング、コーチングやらなにか問題を解決したいと今感じているひとはぜひ覚えていてほしいのだけど、
何か有名な先生に会うことで何か解決の糸口が見つかるわけではない。

じつは私たちの潜在意識は、きちんと「自分でそのテーマを越える」と決めた時にそれが起こるようになっている。
だから、その時期になんとなく重要な出会いが起こったり、なんとなくセッションに足を運んだりするようになるのである。

順番は逆で、わたしの今回の場合も同じ。彼が答えを教えてくれる、と思っていたわけではなく、
その代わりに「今回をきっかけに、自分はこのテーマを終わらせる。」というところにコミット(覚悟・選択・決める状態)するのだった。



有名人やら成功者のオーラはゴールドが多い、と動画の中で言っていたのを見た瞬間、大いにざわついた。

胸くそが悪く、一体全体わたしのこの無駄に苦しさのつきまとう状態で
爽やかなブルーもグリーンもありえない気がした。

癒し手に多い色、愛の色、カウンセラーに多く見られる色、などなど特徴があるみたいだったけど、
どう考えても今の自分の色はドス黒いどぶねずみ色くらいにしか思えず、
何を告げられても落ち込むには至らない、くらいにすでにわたしはどん底の気分を味わっていたので
セッション前から「わくわく楽しみ」という気分には到底なれなかったが、半分開き直って緊張をごまかした。

ちょうど2年くらい全く稼ぐというところのモチベーションが消え、失敗と挫折を繰り返したその期間というのはまさに、今のパートナーシップで恋愛をしながら泣いて泣いて泣いて泣き暮らした2年と重なる時間。


ここ数週間でも、仕事以外の時間はかなり感情を癒すことにエネルギーを注いでいて、泣いても泣いても感情は出て来ていた。

大好きだった人と、これまでの関係から一歩前進したいと本気で望むようになり、それはすれ違いという形で関係に現れた。


最終的に別れにたどり着くのか、新しい関係に進むのかは私が決められることではなく、
ただ待ち、ただ願い、ただ愛を持って臨む以外にできることはなかったけれど、ある意味終焉を迎えようとしている時期。

別れを想像したときの強い喪失感や不安、寂しさや辛さ、自分のエゴも含めてそれは爆発を続けており、
わたしの消耗とエネルギーを奪われる感覚はいよいよ限界に達していたので

それも合わせて、ちょうど東京にいく数日前に彼に別れを告げて、数日泣き続けたという、まさにドブネズミ色にふさわしい2つのテーマを両手いっぱいに抱えて
わたしはそのグループセッションに向かうことになったのであった。


キャンセル待ちの登録をしたことすら忘れていたわたしは、悶々としたまま他の仕事の予定など、東京行きの計画を立てていた。
8月の頭に東京でのセッション募集の告知を書き始めた瞬間に、メールの着信音が鳴り、
「キャンセル待ち1名、お急ぎください」とそこには書かれていた。

「ああ・・」と一瞬迷ったが、用意されたものには乗るしかない。こういう時のスケジュールというのは本当にすんなり行く手を阻まれることなく決まるもので、ちょうど予定していた東京行きでは休みが取れないと残念がっていたクライアントさんから、間も無く「予約お願いします!」と連絡があった。

高額のグループセッションに自らお金を払っていくのは、かなり久しぶりのことで、ある意味自分が「クライアント側」の立場や気持ちを体験するのにそれだけでも十分な価値があった。

自分の提供する一回分の個人セッションの値段。そこでクライアントが受け取っていくボリューム。そして私はそれと同じようなものを、短い時間のグループセッションで12分の1で、受けとるのだ。定員は12人と書いてあったから。


一人当たり何分くらい割り当てられる計算なんだろう。なにはともあれ、他の人へのコメントも含めて勉強代だと割り切り颯爽と向かうことにした。

颯爽と、と書いたが、嘘ウソ。前に述べたようにわたしの両手には、重たすぎる巨大な岩がふたつほど乗っている状態だった。とてもウキウキワクワク、サイキックメッセージドキドキバキュン!という気持ちには一ミリもなれず、
いや本当に撃沈して帰るだけだったらどうしよう、と首がそのまま180度後方にひねったまま二度と戻らないんじゃないかってくらい後ろ向きのまま、とりあえず新幹線に乗った。


台風一過で空は晴れているももの、わたしの心は苦々しいプレッシャーに満ちていた。台風の影響で遅れた電車のため、すでに出発した時点から遅刻が約束されていて、ただでさえ憂鬱なのに、出だしからそんな調子で何とか目的の駅に到着する。

開催地の代官山に着くころには、少々気持ちが楽になっており、遅刻は上等、道のりを楽しむことにした。これでこそ自分である。

8月に突入する手前のその都会の熱気は、台風が過ぎた直後で爽やかさはまったくなく、湿気と太陽と蝉の声の三重奏によって蒸し暑さのピークを越していた。
わたしの体験上、暑さも寒さも臨界点を超えた時点でそれは心地よさに変わる。中途半端な暑さは不快感しか与えないが、湿気も熱気も壊れたサウナみたいに度を越せば、清々しい気候になるのである。


沖縄や台湾を連想させるその気候を私は楽しみ、代官山の裏道をてくてく一人で汗をかきながら歩いた。お洒落なコンビニとか、お洒落な本屋さんとかを横目に携帯でパシャパシャ写真を撮って、外国に旅行に来たときのあの感じを味わう。


ひとびとは、現実世界で見たことがないくらいお洒落をしていて、わたしのなかで垢抜けているとお洒落は全然違うけど、とにかくメガネをかけたり帽子をかぶったり雑誌に出てくるような家族連れが歩くのを見ながら、なるほど「お洒落な人種」というのは、わたしのなかでどちらかというと「外国人」に似ているのだな、と思った。

その日は日曜日の午前中で、途中黒人2人とすれ違って会釈した。旅行に来ているのか、どういう土地なのか謎だけれど、割と閑静な場所にさしかかったところで数メートル先にチャーチがあることに気づき、外国人が何人か建物の外で集っているのを見かける。外国では、日曜日はたいてい教会に行くものだ。外国というかシンプソンズというアニメをみると、アメリカの典型的な家族の日課がそこには描かれている。

その中でわたしが好きなのは、誰一人とて教会にいくことをよろこんでいないこと。


黒人は、自分の国で調達したであろう派手なピンクのアフリカ柄のドレスを身にまとっており、それは七分袖だった。外国に住んでいると、ほとんど体感温度というのは自由になるものなのだけど、もはや日本の夏の台風直後のこのアジアの熱気というのは、アフリカと比べて暑いとか暑くないとか、そういうレベルじゃないんだよなあ。
と、なんだか懐かしい感覚を覚えながら、目的地まで携帯の地図を片手に心地良いのろのろした歩幅を楽しんだ。


地図の言う通りに裏通りに入って右折すると、小さな美容院のガラス張りの向こうから、男二人がこちらを見た。メガネをかけており、それは代官山にふさわしい外国人だった。


3へつづく。




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