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選ばれなかったという苦しみとさようならを

人間をしてて苦しかったこと

人間として生まれて、生きてみて20年ほど経ちました。まだまだ初心者マークをつけているようなものだと思います。それでも、心がボロボロになって苦しくなったことは何度かあります。

ふと過去の苦しかった記憶を振り返ってみた時、気がついたことがありました。それは私たちの多くの苦しみの根底には《選ばれなかった》という苦しみがあるのではないかということです。

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人生のイベントと選ばれるということ

失恋はいつになっても慣れないものですね。普通、物事は数を重ねれば重ねるほどに上達するような気もしますが、失恋上手になることは可能なんでしょうか。なぜ自分じゃダメなのかと何度も問いかけたこと、あると思います。

受験や就活もシビアな世界ですね。一番いきたいところに行けなくて悔しい気持ちになった人はたくさんいると思います。試験のように数字で振り分けられるものならまだしも、面接など明確なラインが見えないものは納得いき辛いですよね。

中学生くらいまでだと友人関係でも、選ぶ・選ばれるの関係性で苦労した人が多い気がします。どうしてだかグループを選んだり、一番お友達を選んだりしなければいけないんですよね。

親子関係でも、自分の兄弟姉妹の方が優遇されているような気持ちになったりすることもあると思います。

選ぶ・選ばれるの関係はどの人間関係にも、どの人生のイベントにもつきものだということが良くわかります。どの例にしても、感情の行き着く先は

「選ばれるように頑張ろう」
「なんで私じゃなくて、あの人が…」
「どうせ私なんて…」

の3つなのかなと思います。

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選ばれないという感覚

失恋も、志望校・志望企業に受からないのも、もちろんそのこと自体十分辛いことだと思います。でもそれに輪をかけて、《選ばれなかった》という感覚が、私たちに苦痛をもたらします。

例えば、特に恋愛に関しては、後から考えてみれば、その人のことはそれほどでもなかったということもあると思います。何であんなに悲しくなったんだろうと不思議になることもあるでしょう。私たちはその人への喪失感ではなく、選ばれなかった感覚に強く反応してしまっていることもあると思います。

心理学などに詳しくないので、うまくは説明できませんが、とにかく《選ぶ・選ばれる》の関係性に強く縛られてしまっていると、他人に選ばれなかった時のダメージが大きくなるように感じます。

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私は私を選び続ける

他人を変えることは不可能に近いと思っています。正確にいうと「他人を変えることができると思ってはいけないが、他人が絶対に変われないと決めつけてもいけない」という信条です。

ですから、そもそも他人に選ばれ続けるという難題自体に、固執することから離れられるようになろうと思いました。

そのためには自分が自分自身を選び続けなければなりません。恋人や友人、志望校や企業が選ばなかったとしてもです。彼らがなんらかの理由で私から離れると決めても、私は私から逃げ出さないと決めたのです。

そのためには、自分自身のための自分になりましょう。手短で乱暴な言葉で言えば、好き勝手してください。そうすれば「なんでこんなに素敵な私を選ばなかったんだろう。もったいないなあ」くらいに思えるようになります。

確かにショックな経験の後は泣いたり、落ち込んだりするでしょう。それは多分死ぬまで変わりません。けれども、少し時間が経った時、あなたがあなたを選んでいれば、誰かに選ばれなかったことよりも、自分に選ばれたことを重要だと感じるようになれると思います。

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おわりに

誰にでも、大なり小なり選ばれなかったという経験があり、悲しい思いをしたことがあるのだと思います。私も自分以外のモノに選ばれ続けることに喜びを感じていたこともあります。

コンテストや大会などそれがポジティブに働くこともありますが、選ばれるかどうかを競うということは、ネガティブな長引く傷につながってしまうことも確かです。

自分自身を選び続けることは本当に難しいことです。それでも一歩ずつ歩んでいきたいです。

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