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落語漫画「あかね噺」を読んで実際の寄席に行ってみた話

はじめに

私は長らく週刊少年ジャンプを読んでいて、これまでたくさんの作品の始まりと終わりを見届けてきた。私の青春はジャンプとともにあったと言っても過言ではない。

それでもって、今回のトピックとなるのは「あかね噺」という落語の漫画。今年2月に始まったジャンプの連載作品だ。

あらすじをざっくり説明すると、朱音さんという女の子が、落語家のトップ階級である真打を目指す物語である。

私はこの作品がなんとなく好きで応援している。なぜ好きなのかという理由はいくらでも後付けできるのだが、好きになるきっかけは結局のところブラックボックスでいいのだ。

(↓無料で3話分の試し読みができるので、ぜひ読んでみてください)

ところで、落語と言われたら何を思い浮かべるだろうか。私はたかだか、笑点に出ている人たちが落語家で、「寿限無」や「まんじゅうこわい」の元ネタが落語であることくらいしか知らなかった。もとより、多くの人の認識はそんなものではなかろうか。

しかし、作品を追っていくうちに、私の中でうっすらと興味が湧いていた。実際の落語ってどんなものなんだろう? 

「らくごカフェ」との出会い

実際に寄席に行く決定打となったのは、神保町にカレーを食べに行ったときのこと。

その神保町のカレー屋はとても有名で、ランチタイムに行くと当然ながら行列ができていた。そこそこ長い時間を待たなければならず、私はkindleで本を読んだりネットサーフィンしたりしていたが、ふと上を向いて周りを眺めてみると、同ビルに「らくごカフェ」と書かれた看板が目に入った。ここで偶然、私は「らくごカフェ」なる存在を知ったのであった。

即座に「らくごカフェ」をネット検索するとホームページが出てきた。名前の通り、落語をテーマにしたカフェで、なんとほぼ毎日寄席をやってるぽい。
私はてっきり、伝統芸能を観に行くには、講演日程に合わせて自分のスケジュールを調整しなくてはならないのだと思っていた。しかし「らくごカフェ」は平日も休日も足を運べる機会があるし、神保町駅にとても近い。とてつもなく敷居が低いのだ。

ちょっとしたきっかけがあれば、「よし、実際の落語を体験してみよう」という閾値に達するのはあっという間だ。ということで、私は勢いで寄席に行くことにした。予約の方が料金が安いので、とりあえず空いている日程を見つけてメールで予約してみた。


いざ、実際の落語の世界へ!

「らくごカフェ」に着いた頃にはほぼ満席であった。お客さんは高齢者が多いと予想していたが、実際は子どもや女性やサラリーマンもいて、落語は多様に愛されているのだと知った。
「らくごカフェ」は名前の通り、ちょっとレトロでアットホームな雰囲気である。というかここ、よく見たら「あかね噺」に出てくる「落語喫茶」ではないか。

これが神保町にある「らくごカフェ」 (出典:ママテナ)
これが「あかね噺」に出てくる「落語喫茶」(3話より引用)

「あかね噺」の作中で、朱音は数回ほど落語喫茶に登場している。図らずも聖地巡礼をしてしまった。


落語の奥深さ

寄席では数時間かけて4つの噺を聞くことができた。結論からいうと、とても面白かった。

私は人の話を聞くのがあまり得意ではない。授業ではすぐ集中力が切れていたし、Youtubeの20分の動画も最後まで見れない。正直、声で説明してもらうなら、テキストだけで説明してもらう方が分かりやすいと感じている。

そのため、落語も興味本位で行ってみたものの、自分にはあまり向いていないだろうなと見込んでいた。しかし、重ねて述べるが、実際の落語はとても面白かった。

落語では、まず前振りとして世間話をしながら、本題の噺に移っていく。聞き手に馴染みのある話題から始めてしだいに自分の土俵に引っ張っていくアプローチは、私もプレゼンなどでよく使う。しかし、落語家さんがそれをやると、流れがあまりにも自然で、噺の世界にするっと入り込めた。噺の時代設定は、現代ではなく江戸時代なのに、である。

噺家は、扇子と手ぬぐいを使って、身振り手振りを交えながら複数人を演じていく。照明や舞台装置は一切変化しないし、演者も一人だけである。それなのに、私の頭の中では、登場人物の細かい表情や、噺に出てくる場面の景色・空気感・物の質感など、情景がくっきりと浮かび上がっていた。私は意識して情景を思い描いたわけではない。気づいたら臨場的に思い描いていたのだ。

落語は、噺家の話し方、間の持たせ方、身振り手振りなどで面白さが際立つ。私は話を聞くより文字を読む方が好きだが、それでも落語の喋りを文字におこしたら、その面白さは9.5割くらい減るのではないかと思う。

それでは、落語を漫画(絵とテキスト)で表現している「あかね噺」が けしからんのかというと、まったくそんなことはない。むしろ、実際に落語を見た後に「あかね噺」を読み返すと、漫画の魅力が倍増した。「あかね噺」では、私が落語で感じたおもしろみや空気感がそのまま描写されていた。週刊連載という大変な条件の中、こんなに丁寧に落語の魅力を表現しているのは、とてもすごいことだと思う。漫画家ってヤバすぎですね。



『あかね噺』の面白いところ

※ここから先は1巻のネタバレを含みます。先に作品を読むことを強くオススメします。

(3話まで無料で読めるのでぜひ)(2回目)

せっかくなので「あかね噺」そのものについて少しだけ語らせてほしい。

「あかね噺」では、1話目の主人公は朱音ではなく、朱音の父親である。

朱音の父親は落語家で、幼い朱音は父親の落語が大好きであった。しかし、父親はまだ真打でないこともあって稼ぎが少なく、朱音の同級生にはヒモだと馬鹿にされる始末。1話目では、家族のためにも次の昇段試験は失敗できないという父親の緊張感が描かれている。

この1コマだけでも父親のプレッシャーや努力が感じ取れる(1話より引用)

そして真打の昇段試験で、朱音の父親は緊張を乗りきり最高のパフォーマンスを発揮する。会場も大盛り上がり。ここでたいていの読者は、「朱音の父親は真打になれるのだな」と思う。しかし、結果は昇段を認められないどころか、理由も分からず破門を言いつけられてしまう。

私は、この1話目がとても秀逸だと思うのだ。落語になじみがなくても、尊敬する父親が理不尽に夢破れるストーリーを読むことで、朱音の「自分が真打になって父の落語のすごさを証明したい」というモチベーションに共感できるし、朱音が厳しい世界に挑戦していることも分かる。(落語の世界が一筋縄ではいかないことは、作中でたびたび言及される。)

このように、「あかね噺」は登場人物の行動のモチベーションや目的がとても分かりやすい。落語という難しい題材でありながら読みやすく話が作られているため、目が滑らない。

あと個人的には、朱音のキャラデザが左右非対称なのが素敵だと思っている。左右非対称ゆえに、朱音が右を向いたときと左を向いたときでは見た目の印象が少し変わるのだが、それが落語の描写に活かされていたりする。

ピアスや前髪の分け目などで非対称性がある(3話より引用)


さいごに

漫画(やそれらのアニメ化)をきっかけに、人々がキャンプを始めたり筋トレ始めたり料理を始めたりするのは、けっこうなじみのある(?)光景だ。漫画のおかげで、なかなか接点が得られない物事に対して「これ面白そうだな」と思うきっかけを得られる。趣味が増えて日々が豊かになっていく。それってとても素敵なことだと思うのだ。

だから、落語の面白さを知るきっかけとなった「あかね噺」には感謝の気持ちでいっぱいだ。願わくば、作品が長く円満に続いていくと嬉しい。個人的には朝ドラとかになってほしい。

ということで、「あかね噺」は単行本1巻目が発売されたばかりなので、気になる方はぜひ買って読んでみてください!(※リンクはアフィリエイトじゃないよ)

以上、日記と布教記事でした。それではまた。



余談:江戸落語と上方落語

ちなみに落語には大きく分けて2種類ある。江戸がルーツの江戸落語と、大阪や京都がルーツの上方落語である。
私が実際に見たのは上方落語の噺家さん。ちなみに朱音ちゃんは江戸落語の人。
朱音ちゃんは落語家のトップ階級である「真打」を目標としているが、この「真打」という制度も江戸落語に特有のもので、上方落語にはそのような階級はないらしい。

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