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#裏方萌え

先日、新宿の映画館で『ようこそ映画音響の世界へ』を観た。

この映画は、『スター・ウォーズ』など名だたる作品に命を吹き込んできたサウンドディレクターたちとともに、音響の世界と歴史を紐解いていくドキュメンタリーだ。

地下にある映画館の階段を上って、新宿の雑踏の音を吸い込みながら、私はやっぱり普段あまり表舞台に出ることのない、いわゆる「裏方さん」の仕事が大好きだなあとしみじみ思った。

自分の心のデータベースに「#裏方萌え」で検索をかけることができたら、たぶんものすごい件数がヒットするんじゃないかしら。

先述の映画で「音響は地味な仕事」という話があったけれど、たしかに普段友達と映画の話をしていても、役者がどうの、監督がどうの、という話ばかりで、「あの音響が最高だった!」という感想はほとんど登場しない。

それでも、音響の仕事でたしかに映画の質感がガラリと変わるのだ。

そういえば、私が最初に裏方の仕事を強く意識したのも、音響に興味をもったことがきっかけだった気がする。

宮崎駿監督の『風立ちぬ』は、効果音を人の肉声でつくっていることで有名だが、この作品を観たときに「映画の音は、見えない人の手によってつくられているのだ!」という、よくよく考えれば当たり前のことをガンッと突きつけられたような気がした。

それから他のアニメも効果音を意識して観てみると、作品の中の世界は気が遠くなるほどたくさんの音で溢れていた。
足音、自転車をこぐ音、鉛筆で文字を書く音、風が植物を揺らす音、包丁で野菜を切る音……
これらの音を、誰かが動画のタイミングに合わせながら一つひとつ録音していることを考えると、「ひええ」と情けない声が出そうになる。

さらには、そういった果てしない作業がアニメ特有のものでないと知ったときにはかなり驚いた。
実写映画でも、特に多言語で配給されるものはほとんどの効果音がフォーリーという手法によって後付けされているのだそう。
なんだか、映画作りの奥深さに広大な宇宙に対するような畏怖さえ感じてしまう。

映画の世界はたくさんの人が織りなすたくさんの要素によって成り立っていて、どれかひとつでも欠けたら完成しないのだ。

そう思うと、作品に登場するあらゆるものに八百万の神様が宿っているような、はかり知れないほど大きな大きな世界が一つひとつの作品の裏側から立ち上がってくるような気がしてくる。

映画だけじゃない。

たとえば、生放送の音楽番組を見ていると、たまにハケる途中のカメラマンの黒い影がアーティストに被って映ることがある。

番組側としてはあまり好ましい事態ではないのかもしれないが、私は毎度その「普段は見えない人」の存在にハッとさせられる。

私がお菓子を片手にボーっと見ている番組の裏側に、カメラマンがいて、カメラを切り替える人がいて、音を整える人がいて、テロップを出す人がいて、そういう段取りを全部決める人がいて…ということを瞬時に思い出すのである。

他にも、ラジオ番組でここぞというタイミングで効果音やエコーがかかったり、ライブで曲のリズムにピタッと合わせて照明が切り替わったりするような、思わず「キモチイー!」と叫びたくなるような瞬間には必ず、それをつかさどる人がいるのだ。そういう人たちの仕事は本当にカッチョイイ。

見えているものの裏側に見えないもの、ましては見せてはいけないものが存在し、それらの歯車がぴったり合うようにたくさんの人が努力しているという現象に、ものすごくワクワクする。

私が演者にも憧れを覚えつつ、やっぱり裏方に心惹かれてしまうのは、彼らのいる世界の奥行きと慎ましさに感動を覚えるからだと思う。


ああ、裏方萌えを感じる瞬間、色んな人と語り合いたいなあ!

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