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VUCA時代に"どうなるかわかってる人生”をやる意味はあるのか【不適切にもほどがある!第6話】

衝撃すぎて5話の感想が書けなかった。
もう八嶋智人のけん玉が上手すぎることに無邪気に笑っていた頃の気持ちには戻れない。
1995年1月17日に自分の、自分だけじゃなく大事な一人娘の生涯も終わりをむかえてしまうことを知った主人公・市郎が、受け取れるはずがない・受け取れずにいたオーダーメイドのスーツ着てお店から出てきただけで咽び泣いてしまったから。

でも、そこでずっと湿っぽさを残さないのがクドカン流。
ショックなことがあったとしても、命がある限り日常は続いていくことを、しっかり今までのトーンからブレることなく物語として紡いでくれていた。

悲しみも愛おしさも全部それは日常かのように6話は始まる。

余命を知ってしまった市郎は、残された時間を、その瞬間がくるその時まで、どんな選択をして、どんな思い出や言葉を残すのだろうか。

とりあえず、一旦、過去に戻るべきだって諭されて戻るんだけど、当然ながらそこには、26歳までしか生きられないと知ってしまった愛娘・順子がいるわけで。

このハグだけで泣けた。愛おしさが溢れるハグに泣いた。
なんなら順子のお友達も1人づつ抱きしめていくから。
逃げない・避けないお友達も何気にめちゃめちゃ良い子たちだよね。

本人を前にして、未来で知ってしまったことを告げるべきかどうか、どうしたらいいかわからないんだって、市郎は飲みながら泣いてこう言った。

「どうなるかわかってる人生なんてやる意味あるのか」

サカエさんに負けないくらいわたしも泣いてしまった。
むしろ先に泣いてた。

先が見えない人生に一度も不安を感じたことがない人はいないと思う。
予測できない、わからないことは、不安だから。
折しも現代はVUCA時代と呼ばれていて、物事の不確実性が高くて将来の予想が困難な時代の真っ只中でもあるらしい。

昭和から現代へ、VUCA時代にタイムスリップしてしまった市郎は、残りの時間がカウントダウンされていく自分と、自分より大事な娘と、どうやって生きていくのが正解かわからなくて、どうなるかわかってる人生なんてやる意味あるのか?と、誰に聞くわけでもなく吐露しまう。

未来は変えられないというルールさえ、今となっては最後通告でしかない。

でも、もし、本当に先が全部見えてしまったら、知ってしまったら、その時、自分だったらどうするんだろう。
市郎と同じように、あと何年後に命が尽きるとわかっている人を目の前にして、何ができるんだろうか。

あの時、ちょっとめんどくさくて、適当に返信したこと。
今度行くねって言ったまま、しばらく顔を出さなかったこと。
あとで渡せばいいかと思って、すぐに準備しなかったこと。
できることなら全部もう一度、ちゃんとやり直したいことはいくつもある。

でもきっと、その人の顔を見ただけで何も言えなくなるんだと思う。
過去に戻った市郎が順子を抱きしめるしかなかったように。

映画でもライブでも、とにかくネタバレが嫌いで、「結末がわかっている推理小説を楽しめない」自分は、どうなるかわかってる人生を、きっとすんなりと受け入れることができない気がする。

どうなるかわかってる人生なんてやる意味あるのか?と聞かれたら
「ある」と答える人はどれくらいいるんだろう。
「ない」と答えることは何かを捨てることになるんだろうか。

予測不可能なVUCA時代、未来が少しくらい見えなくても、そう怖がることはないのかもしれない。
そりゃビジネスの話で言ったら大いに困るけど。
先が見えないと予測とか戦略とか描けないけど。

楽しみが減るから未来のことは聞かなくていいや!っていうのも本当だし、ルールなんかどうだっていいから救うべきだし伝えるべきだっていういうのも本当だし。

サカエさんが言ってたように、どうしたって結末が変えられないのなら、その日が来るまで楽しんで生きられたらいいと思う。

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