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人は、あまりにも暇すぎると何かしらやり始める

コロナによる自粛期間中、あえて「何かしなくちゃ」と思うことをやめてみました。(やめたというか、途中からあきらめた。子供の勉強見たり、家族のために1日三食きっちり作るのが大変で。)

せっかく与えられた時間を有効に活用せねば!などと焦ってもロクなことがないのは今までの経験で実証済み。

ずっと家にいていい、とは言っても掃除洗濯炊事に育児・・・と、人間色々と日々やるべきことはありますが、それらを淡々とこなした後は、ひたすらソファに寝そべってYouTubeを見たり、庭に椅子をだして日光浴しながらぼーっとしたりしていました。

あー。私、なーんにも生産的なことしてないなあ。と罪悪感が湧いたりしましたが、あえて無視して無為に過ごす。

するとですね、一ヶ月も経った頃には、何か得体の知れない気力というか、やる気のようなものがジワジワ〜っと湧いてくるのを感じたんです。

そうしてもう何年もやったことがないのに、突然おやつを手作りしたりしていました。

ホットケーキミックス使ったり、ごく簡単にですが、でも「家族のための日々の料理」というものに疲れ切っていた私にとっては、ありえない事なのでした。そんなことに費やす時間は無駄じゃ!と思っていましたので。 (高校生の時はお菓子作りが大好きで、せっせと作っては彼氏に貢いでいたのにね笑。)

残念ながら一ヶ月ほど経ったところでまた会社に戻らなければならなくなりましたが、それでもこの「無為な日々から徐々に湧き出てきたやる気」の火は消さないようにしたいものです。

それで今回言いたかったことは何かと言いますと、「働かざるもの食うべからず」という言葉があるじゃないですか。

これ、非常に分かりやすい言葉ではあるんですけれども、もしかしてこういう考え方を取っ払った先に、新しい生き方、働き方の可能性が見えてくるんじゃないかっていう直感めいたものが降りてきたということです。

なにもせずにじっとしている日々が続くと、人ってどうやら何かしたくなるものらしい。そういう時間を経て起こした行動こそが本物なのではないか?

私の場合、おかしづくりの段階で止まってしまいましたが、もしあのまま「無為な生活」を続けていたらどうなっていったのか。それを観察したかったです。

生活しなくちゃ、お金稼がなきゃ、に追われることがない世界。

ほんとはそういうの、実現可能らしいんですよ。詳しくはYouTubeで八木コーチっていう方の最近の動画見てね(丸投げ)。

八木コーチが言っていることが完全に正しいかどうかとか、私には分かりませんよ?でも、アイディアを出し合う、良いと思われたことを少しづつ試していってみる、ということをしなければ、ずーっと今までと同じ世界です。生きるか死ぬか、みたいな灰色で切羽詰まった世界。そういう世界の住人じゃない幸せな人もいるだろうけど。

誰もが自分に充分な時間をかけることができて、それによって沸き起こってきた本質的な願いを一つひとつ形にしていける世界。そんな世界が出来上がったら、今よりももっと、人も世界も、あるべき姿にぐっと近づいているんじゃないのかな?

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