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コンパッション(compassion)って何だろう? その2

慈悲の本質とは何だろう?
これは、一生かかって、解いていくことのように思う。

日本語でいうところの「慈悲」と
英語の「コンパッション(compassion)」って同じなんだろうか?
2ヶ月前にインドのスピリチュアルリーダー、
サイマー・ラクシュミ・デヴィにお目にかかったとき、
いわれた言葉が深く響いている。

Be Good
Be Kind
Be Compassionate
よき存在で、親切で、思いやり深くあれ

そのとき、日本語の「慈悲」って、この3つが合わさったことなのでは?
って感じた。

そして、先日、金沢の鈴木大拙館に行ったとき、その言葉が蘇って来た。
大拙館は、なんども訪れているが、今回初めて、
「朝の思索」というイベントだった。
朝の7:30。写真撮影なし。会話なしの静寂の時間。
ただ、水鏡の庭に佇む。
https://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/news/h31_asashisaku.html

とても、豊かな時間だった。
そこで渡された、パンフレットに記してあった大拙の言葉。
ああ、この言葉に出会えただけで、一生の宝物って感じた。

No tree or plant would ever think, "My green is the only real green," and thus spurn all other plants.
Each plant with its own shade of green joins with the greens of other plants to color the mountains and fields to the very ends of the earth. 

意訳してみた。

草木が、「自分こそが、本当の緑さ」なんて威張って、他の緑を排除することなんて無い。
それぞれが、それぞれの緑でありながら、他の緑と一体となって、しかも、山野をどこまでも果てしなく豊かに充してしているのである。 

それぞれが、比較することなく、ただあって、ただ豊か。
慈悲が体現された世界ってこんなことなのかなって。
そんな豊かな世界にもう、われわれは生きているんじゃないかなって。
そんな思いが去来した。

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