見出し画像

自分のサイズを正確に測るために。

本日で地蔵会の全ての行事は終了です。
施餓鬼供養の施主さまにはおつとめお疲れさまでした。
今日も星がきれいでしたよ。

一休みしたら好きなものでも食べてゆっくりしましょう。

ちょっとした空き時間にいろんな方のブログを巡回する、
ってことを皆さんされてると思うんですけども。

なんだか高確率で「!!」と思うことが多いこの方の語録。

 *「無力さ」や「限界」を知ることは、
 *けっしてネガティブなことではなく、
 *むしろポジティブなことなのですよ。
 *真実を理解するために、
 *人として、大切で必要な経験であると、
 *わたくしは、信じているのですよ。
 *お顔をあげて、「うつむく」という姿勢をやめましょう。

これは以前、少し似た感じのことを書いたことがありますけど。

無力さや限界を知ることによって
そこからの距離を正確に測れる。

ダイエットしようというのに体重計がなかったり、
新しく引っ越す部屋にフィットする家具を買いに行くのに
メジャーでサイズを測っていかない、というのは
ちょっとなかなか無謀な試み。

自分がこの世界でどういうサイズでその空間を占めているのか。
これは物理的にも心理的にも人間関係的にも言えることですが
自分の「大きさ」を見誤るとトラブルを起こしやすくなります。

不良同士がすれ違いざまに肩をぶつけて喧嘩が始まる、
みたいな漫画のシーンが昔よくあったりしました。

そこまでではなくても、周りとの衝突や摩擦の中で
自分のサイズを学んでいくのですが
それと同時に無力感や限界を感じる力というのも養われて
くるわけです。

無力感を感じるのは気持ちのいいことではありません。
ですが、それを嫌って見ないようにしていたのでは
本当の自分の大きさがわからないままになってしまいます。

これは別に「小さくまとまれ」とか「空気読め」
という話ではなくて、
自分にとって最も適切なサイズをどう作っていくのか
ということ。

全てのものは何か他のものに依存して存在するものであるので
この世界は何一つ本質的に存在する絶対的なものはありません。

全てが繋がりあって関連を持ちながら映しあい照らしあっている、
それが重々帝網、というお話も前にしました。

自分というものはよく知っているようで知らないもの。
自分を知ろうと思ったら、周囲は自分を映す鏡でもあります。

ですので、映す鏡をどう見るのか
という自分の目を養うこと
この世界の中で自分はどんな形でその場所を
占めていたいのかを知ることによって
自分も輝き、周りを輝かせることもできるように
なった方がいい。

無力感を方向性を再確認するコンパスとして
限界を感じたことはスタイルチェックする時の鏡として
どこを削ってどこを伸ばしていいのか
どの方向が行きにくくてどういう分野ならすんなり行けるのか。

スタイルは1日にして成らず。
でも、進むことをやめなければ
必ずどこかにはたどり着きます。
たぶん、今よりはいいところに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?