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状況に合わせて対処するということ。

今日はお大師さまの報恩日。
そして夏至ですね。

本日より地蔵会のおつとめ始まっております。
ご祈願の施主さま、また施餓鬼供養の施主さまには
おつとめよろしくお願いいたします。


この時期は湿気と暑さが増してきて、なんとなく
すっきりしないことも多い時期です。

寒暖差や湿度、気圧の変化によって頭痛や関節痛、めまいや
喘息などの不調が起こる気象病について知られるように
なってきました。

以前ならたるんでる!などと言われたものでしたけどね。

少し前の日本社会では、こういう症状に対しては
かなり冷淡な対応で、精神論で対処しろといわれる
ことも多かったものです。

以前勤めてた会社のけっこう高いポジションについてた方で
雨が降ると休むか遅れてくることが多かった方がいたのですが
おそらく気象病だったのでしょうね。

その方は同じような症状の人に寛容だったのが印象的でした。

自分が辛かったから、他の人には辛い思いをさせたくない
と考えるのか、
自分が辛かったから、他の人も同じように辛いのに耐えるべきだ
と考えるのかは、人間性の現れる選択肢と言えるでしょう。

どちらがいいかというと、もちろん前者の方が
慈悲から出て衆生を利益する考え方ですので
人間的にも仏さま的にもこちらを取った方が
よい選択というものでしょう。

慈悲とは「衆生を慈しみ、苦を抜き楽を与える」という意味。
慈はサンスクリット語の「マイトリー」、
悲は「カルナー」の漢訳。
「マイトリー」は衆生に楽を与えたいという心、
「カルナー」は衆生の苦しみを取り除きたい心を指します。

以前「四無量心」のお話をしたときも書きました。

慈悲は仏教者にとってとても重要な徳目です。

普通の人が持つ慈悲、菩薩が持つ慈悲、如来が持つ慈悲の
3つがあるとされていますが、
これはすごく簡単にいうとその範囲がどれくらい広いかの
違いと言ってもいいかなと思います。

普通の人は同じ人間同士、身近にいるものに対して、
菩薩は空を知り執着を断ってさらに広い範囲のものに、
如来は何も対象とせずに慈悲の心を起こします。

昔のインドでは、仏道の修行者は雨季の間は
托鉢や行脚をせずに寺や修行林に籠って修行しました。
これを夏安居と言います。

雨季の間は、いろんな生き物が大量発生します。
托鉢遊行するために歩き回ると、そういう小さな生き物を
踏んでしまいかねないので、なるべく外に出ず室内で修行をします。

不殺生戒を守り、慈悲からそうするわけですが、
修行者自身にとっても雨の中を歩いて体調を崩したり
しないように、ということもあるでしょうね。


修行は辛いことが要件ではなく、体を健康に適切に保つことも
修行を続けていく上ではとても重要なことです。

仏道修行は制限をかけるためではなく、自由になるために行うもの
ということも以前書きました。

雨季という人間ではどう変えようもない状況に対しては
柔軟に対処して別の手段を採用するということを
最初期から仏教は行っていました。

人を損なわず、法を損なわず、道を損なわず。
慈悲の行いとはそういうもの。

狭い道を強引にまっすぐに押し通るのではなく、
広い道を緩やかに最も通りやすいところを選んで
通るのがいいんじゃないかなと思います。



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