見出し画像

自分に対する慈悲。

こういうご時世で何かとストレスフル。
出先で寄ろうと楽しみにしてたカフェが
休みだったりするとけっこうへこみます。

たまには甘いものでも食べたり
おしゃれなカフェでコーヒー飲んだりできる時間が
あるのはけっこう大事だったのね、
と最近特に思います。

疲れたら休むとか、緊張が高まってきたら息抜きするとか、
普通にやることですけど、意外に大事なことですね。

こういうのが一番わかりやすい自分に対する慈悲。

前回、衆生には必ず自分自身が入ってる
ということを書きましたが、
なんか自分を度外視しちゃう人っていうのは一定量います。

思い当たる節のある方もいらっしゃるのではないかしら?

マインドフルネス瞑想でも最初にこれについて
瞑想するんですけど。

ここにさらっと「四無量心」という言葉が出てきますが、
これは「慈・悲・喜・捨」の四つの無量の衆生に対して
無量に遍く及ぼされるべき心のこと。

「慈」は他者に喜びを与える心。
「悲」は他者の苦しみを取り除こうとする心。
「喜」は他者の喜びを共に喜ぶ心。
「捨」は他者を感情にとらわれずに平等に見る心。

この四無量心について観想することで、仏が衆生に対する時の
心というのを経験することになります。

仏教はお釈迦さまの頃から、人の心について
様々に研究し観察し瞑想してきているわけです。

でも、今日おすすめしたいことは、上の「他者」
っていうのを全部「自分」にして、この四つの心に
ついてまずは思いをめぐらせてみることです。

自分に喜びを与える。
自分の苦しみを取り除こうとする。
自分の喜びを喜ぶ。
自分を感情にとらわれずに平等に見る。

一つ一つ考えてみると、
当たり前にわかっているような気がしていますが
自分が何を嬉しいと思い、何に苦しみ、
喜びを十分に味わってみるとどんな感じがして、
いろんな感情を交えずに平静な気持ちでみると
自分ってどういう人なのか。

改めてやってみると、意外な発見があるかもしれません。
これは昨日書いた「如実知自心」にもつうじること。

自心を如実に知れば如来になれますが、
如来はまた自分と他者には本質的な違いはない
ということもまたよく知っておられます。

自心を知るということは、他者の心も知り、
如来の心を知ることと結局同じ、ということ。


自分のことがよくわかれば、他の人のことも
うまく慮れるようになってくるかも知れません。

この世界で生きていると
物理的な違いにどうしても意識が向き、
全てが本質として同じで平等である、ということに
考えが及びにくいのは確か。

ですので、自分と他者、まずはそれを分けて
その双方に平等に慈悲を向けることを学ぶことから
始めていきましょう。

そして、喜びを与え苦しみを抜くときには
物質的なことと精神的なこと、両方とも行ってみましょう。

自分の心や魂も、それをのせる肉体も、
どちらも満足させていい。

良い方向に向かうときには、多少欲張りかな?ってくらい
やっちゃってもいいんじゃないかな、と思います。

*********************
毎月24日はお地蔵さまのご縁日。
この日に小さな法要を営み、
生きとし生けるあらゆるものへの祝福
この世界にあるあらゆる諸霊へのご供養
全ての大地から生まれるあらゆるものへの感謝
をお祈りいたします。
お地蔵さまへのお願い受け付けてます。
締め切りは6月20日です。

宗派宗教にかかわらずお申し込みいただけます。

お問い合わせ、お申し込みは下記アドレスまで。
enshu0615*gmail.com (*を@に置き換えてください)

折り返し申し込み要項をお送りします。
********************

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?