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神仏に導かれたいと思ったら。

今日は如意輪観音さまのご縁日。

今年の夏はちょっと立て込んでいるので、
いろんなことをなるべく前倒しでやっています。
とはいえご縁日はやはりその日に行じたいですしね。

世間と出世間の都合をどう繰り合わせるかは
いつも悩ましいです。

色々アレンジ。この時期は花のもちがイマイチですね。



なんとなく先日の丹生官省符神社の写真を眺めていて
思い出したことがあります。

祥鈴庵のご祈願をご依頼いただいときに、
時々「こういうふうに願意を修正するのはいかがでしょう?」と
やりとりさせていただくことがあります。

こういうお願いの言葉ではちょっと届き方が甘いかな…とか
こうした方がもっと意図が通じるんじゃないかなとか
感じるときがあるのですね。

そういうお願い事の中で、一見よさそうに思えるんですが
「うーんこれは」と仏さまが??という顔をされる願意があって。

簡単にいうと「全托系」の願意です。
「すべて仏さまにお任せします!」という感じのですね。

こういうお願いの仕方が必要な時はもちろんあります。

以前おみくじのお話で、「人事を尽くしてから引きなさい」
とお師僧さまに教わった話を書いたことがあります。

人事を尽くしてもどうしようもないことは
確かに神仏案件である場合が多く、
こういう時は全托でなければなりません。

しかし、時々頼まれるのが選択肢を丸投げするタイプの
願意。

「お任せしますから一番いいようにしてください」
「私にとって一番いい道を示してください」
という感じのもの。

神仏は全知全能で、
何も言わなくても全部わかってるんだろうし
変えようと思えばなんでも自由に変えられる
と考えているような気がします。

それ、本当にそうかなあと思うんですよ。

先日も書きましたが、高野明神さまは
お大師さまを高野山に導いた神さま。

お大師さまが
密教を日本に根付かせて衆生を救うために
その中心となる道場を作る場所を探して
いろんなところを巡り歩いていたので
出会って導いてもらうことができました。

また、導きや道開きの神さまとしては猿田彦神が有名です。
天孫である瓊瓊杵尊が降臨したとき
天の八衢で待っていて、何者かと問われて名を名乗り
天孫を道案内するために迎えにきた、と答えて
葦原中国に導いたとされます。

この場合も、瓊瓊杵尊がはるか高天原から
日本を治めるためにやってきたので
導きの神が現れて案内してくれました。

目的があって
行動が起こされたので
それに応えるように導いてくれるものが現れる
という構造。

そして導かれた側も「そんなとこヤダ」とか言わず
導かれるがままにその場所に行きました。

願いが叶わないという人は、
目的がはっきりしないか
行動が起こされていないか
導きが示されたときに「それはいや」と言ってやらないか
のうちのどれかをやってます。

選択肢を丸投げするタイプのお願いごとは、
目的と行動の部分が抜けている場合がほとんど。
とすると、導きの神が現れるための準備がまだ
整っていないということになります。

神仏は後ろにいる、というのも前に書きました。

転ばぬ先の杖よりも、衝突した時のエアバッグの方が
ありがたみも大きい気がしますがどうでしょう。

求めて、人事を尽くして、導きがやってきたら
素直に受け取る。

これは三力にも通じるような気がしますよ。


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