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現実的に架空蒸気機関車!仮称D53(基本編)

はじめに

前回の記事「巨大蒸気機関車は永遠のロマン」でも言及したが、蒸気機関車は、諸外国との格差が大きい分野である。諸外国の蒸気機関車は、日本のものよりずっと高性能なのだ。

前回の記事はこちら↓

これは蒸気機関車製造当時の日本の工業技術力が低かったことと、日本の鉄道の設備が貧弱であったことが原因である。
設備の質とは、例えば軌間のような、特定の設備で測れるものではない。軌道・駅・操車場などの鉄道本体設備、橋・トンネルなどの土木構造物、それらのメンテナンス体制を含めた総合力の問題である。
リービッヒの最小律の説明に登場する桶(今回の記事執筆にあたり「ドベネックの桶」という名前があるらしいことを知った)のごとく、すべての要素の水準を高めなければ、最終的な水準を高めることはできないのである。

日本本土の蒸気機関車の営業最高速度は100km/hを越えることがなかったが、同じく狭軌を採用したオランダ領東インド(現インドネシア)では日本が標準軌の南満洲鉄道でようやく達成した120km/h運転が行われていた。そして同時期の諸外国の標準軌鉄道では、160km/h運転が複数の国で行われていた。

そんな日本の鉄道環境で、実在する機関車よりもっと活躍できる機関車は生まれ得なかったのか。
そんな思いが、私を「オリジナル機関車創作」に走らせた。

(ちなみに、この記事の見出し画像は、私が8歳の時に作った蒸気機関車の模型である。ボイラーと運転席はポテトチップスの紙容器、台枠は段ボール、塗装には墨を用いている。側面の板は制作時は水タンクのつもりで取り付けたのだが、バラバラになりかけていたものを修復した時にデフレクターと誤解してしまい、本来の位置よりかなり前方に「誤修復」されている)

前回はロマン重視で巨大機関車を選んだが、今回はより現実的な条件で、蒸気時代の末期まで活躍できることを目指して設定してみたい。
私はただの蒸気機関車好きの素人に過ぎず、専門家でもなんでもないので、走行時の個々の部位の挙動や、ボイラーの熱力学的特性に通じているわけではない。そのため、ここでの設定はごくごく基本的なものにとどまることをご容赦願いたい。

前提条件は以下のとおり。
その1
軌道の最大軸重、転車台の長さ、電化・ディーゼル化の進捗などは、すべて史実通りとする。

その2
史実で製造された鉄道車両は、オリジナル機関車と役割が重複するものを除き、史実通り製造されるものとする。

設定1 登場年

前回も言及したが、高性能機関車には自動給炭機が不可欠である。だから、創作機関車の登場年は、石炭を機械力で投入する自動給炭機の装備が始まり、投炭量の制限がなくなった1947年以降である必要がある。史実においては最後に製造された国鉄蒸気機関車は1949年のC61であり、多少登場年を遅らせるとしても東海道本線が名古屋まで電化される1953年までであろう。

設定2 線路種別

当時の国鉄路線の規格は上から特別甲線・甲線・乙線・丙線・簡易線の5つに分けられており、ランクが上がるほど大きく重い機関車が走ることができた。

当時の機関車を各種別に当てはめると、以下のようになる。(両数は製造数であり、その後の事故廃車、戦時供出、他形式への改造等は反映されていない)

特別甲線・甲線(東海道本線・山陽本線など)
最大軸重 16t(特別甲線は名目上18tだが、実例はない)
最大軸重は動輪のみ5%の上乗せ可能。以下同じ

 旅客用
 C59 1941年登場 173両
 C62(東海道・山陽仕様)1948年登場 41両

 貨物用
 D52 1943年登場 285両(ただし戦後間もなく多数が廃車され、一部はC62にボイラーを供出)

乙線(中央本線・北陸本線など)
最大軸重 15t

 旅客用
 C51 1919年登場 289両
 C60 C59から47両改造
 C62(東北・北海道仕様)8両

 貨物用
 D50 1923年登場 380両
 D51 1935年登場 1115両(一部はC61にボイラーを供出)
 D62 D52から20両改造

丙線(一般的なローカル線)
最大軸重 13t(14tを許容する線区も多い)

 旅客用
 8620 1914年登場 672両
 C55 1935年登場 62両
 C57 1937年登場 201両
 C61 1948年登場 33両

 客貨両用
 C11 1932年登場 381両
 C58 1938年登場 431両

 貨物用
 9600 1913年登場 770両
 D60 D50から78両改造
 D61 D51から6両改造

簡易線(小海線・木次線など)
最大軸重 12t以下
 客貨両用
 C12 1932年登場 282両
 C56 1935年登場 160両

1955年度末時点で、線路延長が最も長いのは丙線の8710kmで、次に多いのは乙線の6847kmであった。(これは「線路延長」であり、複線は2倍にカウントされているので、「路線延長」では乙線はもっと少ない)
機関車リストと路線延長を見比べると、乙線向け旅客用機関車の層がかなり薄いことがわかる。しかもC51は大正生まれの古い機関車である上に、優れた性能ゆえ酷使されていたので、戦後早い段階で急速に退役が進んだ。
当時の乙線では、本来丙線用であるC57やC61に無理をさせていたことになる。
このことから、オリジナル機関車は乙線向け旅客用機関車と設定した。

ちなみに、いくつかの例外はあるものの、在来線の最大軸重は現在も積み増し分を含めて16.8tである。最大軸重を18tに上げる構想はあり、昭和初期から橋などは最大軸重18tを想定して建設されているが、結局実現しなかった。1983年、おそらく国鉄の財政難のため橋の想定最大軸重が16tに引き下げられ、最大軸重18t構想は完全に放棄されたとみられる。

設定3 車輪配置

蒸気機関車(炭水車を除く本体部分)には3種類の車輪が存在する。
前から
①走行時に機関車を安定させ、カーブを曲がりやすくする先輪
先輪は1軸2個でもそれなりに効果はあるが、急行列車用なら2軸4個欲しい。
②蒸気で生み出された動力で回転し、機関車を走らせる動輪
動輪は大きいほど速く走れるが、大きすぎるとボイラーにつっかえるので限度はある。
数を増やすほどグリップ力が増えるので、より重い列車を牽けるが、増やしすぎるとカーブを曲がれなくなるので限度はある。
③火室と運転台を支える従輪
従輪は基本1軸2個でよいが、投入予定路線の線路が火室を支え切れない場合は2軸4個にする。

日本の旅客用機関車は、主に4-6-2(パシフィック C57など)や4-6-4(ハドソン C62など)配置である。しかし、それらの配置を持つ機関車は史実でも作られているので、創作機関車が入る余地がない。そこで、創作機関車では貨物機と同じく動輪4軸8個とし、先輪を2軸4個としてグリップ力と高速走行を両立させることにした。すなわち、史実では国鉄に例のない4-8-2(マウンテン)配置である。一応マウンテン機は3シリンダ機として構想があったらしいが、3シリンダ機はまず急行旅客機を少数輸入し(後の8200形→C52)、これを参考に開発することとなった(後のC53)ため、実現しなかったようである。
動輪数が決まったことで形式を決めることができる。
動輪4軸で、D52の次であるから「D53」である。

2021年1月追記
国鉄に限らず「日本が建設した鉄道」に範囲を広げれば、南満洲鉄道(満鉄)や朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)にマウンテン機が存在する。特に戦時中に製造された鮮鉄マテニ形は動輪径1520mmの勾配線区旅客用と、D53と似通った構成・目的をしている。
マテニの設計を模倣すればD53を実用的な機関車として設計できたと思われるが、今回のシリーズ作成時点で私はマテニの情報をほとんど持っていなかったので、参考にはしていない。

朝鮮総督府鉄道マテニ形(パブリックドメイン)
川崎重工業での落成時に撮影されたもの。

韓国の軍事境界線近くにある展望施設「臨津閣」には、朝鮮戦争で破壊された機関車が展示されている。戦場で放棄されてから長期間放置されていたため、かなり朽ちているが、ツアー案内に添付された写真からマウンテン機であることがわかる。
臨津閣の機関車の形式については、マテニとする説と、鮮鉄のもう一つのマウンテン機であるマテイとする説の両方が存在するようだ。
例えば、日本語版Wkipediaの「朝鮮総督府鉄道マテニ形蒸気機関車」の記事ではマテニ説を採用しているのに対し、日本語版「長湍駅」や英語版「Sentetsu Matei-class locomotive」ではマテイ説を採用している。
マテイとマテニの落成時の外観を比較すると、蒸気ドームなどはマテニに近いが、落成から朝鮮戦争までに改造により外観が変化している可能性もあるため断言できない。マテイはマテニより動輪径が小さいことでも区別できるが、写真では動輪の大きさは判別しがたい。

設定4 動輪設計

動輪を4軸にすると、スペースの都合上3軸より直径を小さくせざるを得ない。
C62の動輪径がC51以来の急行旅客機標準である1750mmであるのにに対し、同じボイラーを用いているD52は1400mmである。
動輪が大きいと何がよいかというと、最高速度を上げることができるのである。
蒸気機関車の動輪を駆動するロッド類は複雑な往復・回転運動をするので、強度上あまり高速で動くことができない。
国鉄では最高回転数を毎分300回転として機関車を開発していた。1750mmの動輪でこの回転数を出した場合、速度は1.75m×3.14×300回転×60分≒100km/hとなり、この動輪径は100km/h運転を想定して設定されたことがわかる。
(一方、諸外国ではさらなる高回転が実現していた。例えば、イギリス LNER A3形の動輪径は2032mm、営業最高速度は160km/hであるが、ここから回転数を計算すると418回転となる。)

ただし、この300回転という回転数は余裕をもって設定されたものであり、国産機関車でもこの回転数を超えた例はいくつか存在する。

・「あじあ」号の牽引機として有名な満鉄のパシナは340回転で130km/h走行が可能であった。

・C62 17号機が1953年の木曽川橋梁の負荷試験で、ごく短時間(おそらく10秒以下)ではあるが129km/h(約390回転)を発揮した。前方にカーブがあるため減速を余儀なくされたが、性能にはなお余力があった。減速時に非常ブレーキを使ったため車輪に傷ができたものの、それ以外の故障はなかった。

・C62の牽引する特急「つばめ」は、1951年のダイヤで浜松→名古屋を90分弱で走っていた。ここから表定速度を計算すると76km/hとなる。
一方、151系電車で運転される特急「第2こだま」は、1964年のダイヤで浜松→名古屋を71分で走っていた。ここから表定速度を計算すると92km/hとなる。
公式にはC62の運転最高速度は95km/h、151系の運転最高速度は110km/hである。
蒸気機関車牽引の客車列車より、電車列車の方が圧倒的に加減速に優れていることを考えると、この所要時間を達成するためC62は95km/h以上を出していた可能性が高い。

・C11(動輪径1520mm)やC50(動輪径1600mm)が1750mm動輪機に匹敵する高速を発揮していた。(C50は130km/h以上を出したことさえあるともいわれるが、これはさすがに疑わしい)

これらの事例から、動輪回転数上限の引き上げは当時の技術力で十分可能と判断し、D53の動輪径は330回転を許容すれば時速95km/hを実現できる1520mmとし、最高速度の低下はグリップ力を活かした加速でカバーする方針とした。
本当は300回転でも90km/h、315回転で95km/hに達することのできる1600mmの方がより安全なのだが、この動輪径はスポーク動輪(馬車のような、車軸とタイヤを放射状の棒で繋ぐタイプの車輪。蒸気機関車初期からの方式)のC50以降採用例がなく、C58のボックス動輪(よく「れんこん」に例えられる、穴のあいた板状の車輪。アメリカを中心に発展し、日本ではC57・D51以降主流になる。)で採用実績のある1520mmで妥協した。

330回転は理論上は可能であるものの、
・慣性の低減のため、ピストンやロッドはクロムモリブデン鋼など強度の高い材料を使い軽量化する
・回転抵抗の低減のため各動輪の車軸にローラーベアリングを装備する(史実ではC63で採用を予定していたが、C63自体が実現しなかった)
・高速運転時の蒸気を節約するため、シリンダーに蒸気を送るバルブは、カットオフ(シリンダーへの蒸気供給量を調整するため、ピストンが途中まで動いた段階で蒸気の供給を止めること。基本的に発進時は遅めに、巡航時は早めに設定する)の最小値を小さくするか、逆に最大値を大きくしてシリンダーを小さくする。

などの対策を設計段階で行い、事前に実物大の足回りを製作し回転試験を行うなど、十分に検討した方がよいだろう。

2021年1月追記
1600mm動輪搭載機について改めて調べたところ、8620形の複数の機において、年代は不明であるが、ボックス動輪への交換が実施されていたことが判明した。最初はC58の動輪のタイヤの厚みを変えたものではないかと思ったが、C58のものとは形状が異なっているようだ。もちろん1600mmボックス動輪は制式設計には存在しないものでありるから、おそらくどこかの国鉄工場でわざわざ新規に設計を起こして製造したのだろう。

当初の検討では、ボックス動輪の採用実績がないという理由で1600mm動輪を却下していたのだが、この事例を考えると、1600mmボックス動輪の採用は予想していたより困難ではないと思われる。
この結果、D53の動輪径は1600mmとすることとした。

設定5 ボイラー

ボイラーについては、C62とほぼ同時期の登場であることから、C62と同様にD52のボイラーを流用または同一のものを新製すると仮定する。

設定6 炭水車

ここまで各種諸元を設定してきたが、先輪追加と動輪大型化で全長が長くなってしまうことを解決しなくてはならない。
京都鉄道博物館に行って、現物の機関車を観察して推定したところ、D52を基準にして、先輪追加で80cm程度、動輪大型化で80cm程度、合計160cm程度長くなるのである。当時の転車台の大きさは20mが標準で、D52の時点でギリギリの長さであった。
D53においては、機関車本体の長さが伸びた分、航続距離の短縮を承知の上で炭水車の長さを縮めることで解決を図った。D52の炭水車は全長8775mmであるから、全長7550mmのD51の炭水車の台枠を少々縮めて、これを用いることにした。

完成!D53の長所

ついにD53の設計案が完成した。
回転数上限の引き上げによって実現した、史実では登場することがなかった中型動輪4軸の急行旅客機である。
旅客機として最低限必要な速度性能を確保しつつ、貨物機のD51に匹敵する牽引力・加速性能を有するD53は、最高速度よりこれらの性能が求められるカーブや勾配が多い路線での活躍が期待できる。

残念!D53の問題点

一方、D53には二つの問題点も存在する、一つは炭水車の容量が少ないことによる航続距離の問題、もう一つの問題は、重心位置の問題である。

機関車に限らず地上を走る乗り物一般において、一番パワーが必要とするのは、発進し、加速するときである。
加速度の高い自動車ではよりはっきりとわかるが、車両が加速するとき、乗客は座席に押しつけられる力を感じる。客観的に(慣性系で)いうと、車両が動力を持たない乗客を座席で押して加速させているのである。車両側では、乗客を押す力の反作用が後向きに発生する。座席は車両全体の重心より上にあるので、車両には後向きに傾くモーメントが発生し、重心が後方に移動する。
自動車で走るのが好きな方は「荷重移動」という言葉をご存知かもしれないが、これは機関車でも発生するのである。
機関車の重心が後方に移動すると、先輪の荷重の一部が第一動輪に、第一動輪の荷重の一部が第二動輪に…と荷重移動が起こり、最終的に第四動輪の荷重の一部が従輪に移動する。
D53の場合先輪の軸重は7t程度、動輪の軸重は前から14.5t、14.8t、15.2t、15.5t、従輪の軸重は13t程度と想定されるので、各軸の荷重が1割ずつ移動したとすると、静止時の動輪上重量に対し、先輪分0.7tが増加し、第四動輪分1.55tが減少するので、差し引き0.85tが減少することになる。
たった0.85tと思うなかれ。蒸気機関車時代の貨物列車の場合、性能ギリギリまで貨車を連結していたのだ。しかも路面がいつも万全とは限らず、雨や雪が降れば車輪がすべりやすくなる。動輪上重量は多いに越したことはないのだ。
重心移動による動輪上重量の減少を最小限にするには、前に重心を置いて静止状態での軸重を前の動輪ほど高くなるようにして、発進時に軸重が均等になるようにするのがよい。
しかし、D53はD52より先輪が増えているので、D52では第一、第二動輪で支えていた荷重が先輪に移った結果、第三、第四動輪の軸重の方が大きく、望ましくない荷重分布となっているのだ。
D53の場合は、問題をとりあえず解決するため、第一動輪の上におもしを積み、ある程度軸重バランスを改善することとした。

なお、D51は今でこそ日本で最も生産数が多く、最も知名度のある蒸気機関車となっているが、初期はこの重量バランス問題で機関士たちから大不評を買った。初期型を除くD51の外観的特徴として煙突前の円筒形給水温め器があるが、あの位置にあるのは、重量バランスを改善するため、少しでも前に装備しようとした結果である。また、次のD52ではボイラー全体を前に移動させ、重心を前に移動させることで問題を解決している。

次回予告

次回は「現実的に架空蒸気機関車!D53(改善編)」
今回設定した要目に沿って本当にD53を設計できるのか考えてみよう。
https://note.com/ensais/n/n1cbe8db72a65

参考文献

石井幸孝,岡田誠一ら「幻の国鉄車両」2007年 JTBパブリッシング

久保田博「鉄道工学ハンドブック」1995年 グランプリ出版

齋藤晃「狭軌の王者」2018年 イカロス出版

高橋政士、松本正司「国鉄・JR機関車大百科」2020年 天夢人

土木学会「鋼構造委員会 土木鋼構造物の設計法に関する調査小委員会 報告書」2008年

西村勇夫「C62のスピード記録」鉄道ファン2012年2月号 p.130-137

日本国有鉄道編「鉄道辞典」1958年 日本国有鉄道

横堀進「自動給炭機(ストーカー)焚き機関車について」燃料協会誌 30(3-4),95-99,1951

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