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デザインの良さ ≒ 使いやすさ。

「デザイン > 外見。」

“デザイン” という単語は守備範囲が広くて、それ故に誤解も生じさせていると思います。そして、私自身はそれを決して外見的なものとは捉えていないのです。外見は確かにデザインの中である程度の重要性を占めているとは思うけれども、それが全てではないし、最も重要と言うわけでも無いと考えております。これは “デザイナー” と呼ばれる人々の役割と言うか責任範囲、あるいは彼らへの期待をより広く捉えていると言う意味でもあります。

もし、仮にデザインが外見的なものであったならば、「デザインは良いけど、使いにくい。」と言うプロダクトが存在することになります。しかし、私はそのような存在は否定したい。使いにくいのであれば、それはデザインが悪いと言うことに直結すると考えるのです。デザインはその対象の目的と密接な関係にあるはず。車のデザイナーであれば、そのプロダクトを車として機能させなくてはならない。イベントのデザイナーならば、そのイベントにイベントの目的を達せさせなくてはならない。有形無形問わず、デザインは対象が持つ目的と切り離せないものだと考えます。

あらゆる道具には使われると言う共通の目的があります。もし、使われることを目的にしていないものがあるのであれば、それは道具ではなく純粋な芸術品なのでは無いかと考えます。使われる目的がある道具ならば、使いやすさは目的の達成に不可欠かつ最も重要な要素であり、使いにくいのであれば目的に反する。そして、デザインは何のためにあるべきか、と言うことになれば正にこの目的の達成ためにあると考えます。やはり目的を達するもの、即ち使いやすいこと良いデザインであることの最低条件であるようにしか思えないのです。

つまり、使いやすいものが良いデザインである以上、使いにくいものは悪いデザインになると言う短絡的な考え方です。狭量なような気もするけど、現時点で他の解釈は思い付いていないのです。

「おしゃれ ≠ 良いデザイン。」

少し以前に、とあるコンビニチェーンのコーヒーマシンのデザインが話題になりました。モノトーンに抑えた見た目は今風でおしゃれであったかもしれませんが、その削ぎ落としすぎた外見が消費者にとっての使いやすいさを伴っていなかったために、消費者を混乱させておりました。道具としての目的が消費者にコーヒーを提供するところにあったにも関わらず、その道具のデザインはおしゃれな空間の演出を目的にしてまった印象です。つまり、その道具とデザインの目的が一致していない。これがデザインが外見的なものではないことを示す実例だと思いました。

「同じ外見 ≠ 同じデザイン評価。」

このコーヒーマシンの例は同じ外見のままでも、目的によっては良いデザインになり得るとも言えます。不特定多数の消費者を対象としているコンビニチェーンに設置するのではなく、仮にそれが家庭用であったとしたら。流石にサイズは家庭用には大きすぎますが、今回の混乱の元になった使いやすさの面だけを言えば説明書を添えて提供され、家庭内の特定の人々が繰り返し使って行くものとしてデザインされたのであればあの削ぎ落とされた外見もそれほど悪いものではなかったのではないか、と言う風に捉えることも出来そうです。これは目的を単にコーヒーの提供にあると捉えるのではなく、同じコーヒーの提供であってもそれを誰によって操作してもらう想定なのか、あるいは説明書を事前に読ませることが現実的かどうか、なども含めたものとして考えることでデザインの目的がより明確になるのです。

単なる外見の良し悪しを決めるのは困難です。かなりの部分を主観によって左右されるからです。ある程度の共有された美意識を土台にすることはあっても、万人受けする外見というのもまた期待できないのです。しかし、目的に沿っているかどうかと言うことであれば、目的が明確な道具の場合には客観的な評価が容易になります。

その私の考えに沿えば、遅いけど多くの人がかっこいいと感じるレーシングカーはやはり悪いデザインなのです。しかし、全く同じ外見であったとしてもそのプロダクトがレーシングカーではなく、レーシングカーに憧れはするもののスピードはそんなに出さない層を対象にした市販車であった場合、それはもしかしたら最高のデザインと言えるかもしれません。これもまた、デザインの重要な要素がその外見ではなく、目的と連動しているかどうかを示す例になると思います。

「デザインの良さ ≒ 使いやすさ。」

私自身はデザインを学んだり、それを生業にした事があるわけではありません。ただ、一個の消費者としてデザインされたものに触れてきただけに過ぎません。なのでこの私の考えが広く共感を得られるものとも考えてはおりません。

にも関わらず、こんな風に少しひねくれた考え方を文字にして表現してみたいと思ったのは、多くの道具がその目的をデザインと共有できていないと感じたからです。これは道具の作り手にとっても、道具を手にする消費者にとっても不幸なことだと思います。

デザインは美しさではなく使いやすさを優先し、その中で付加価値的に他との差別要素として美しさを与えてほしいと願います。あるいは美しさはわざわざ付加しなくても、使いやすさを追求されたプロダクトであれば必然と機能美と言う美しさが自然と備わるものでしょう。私はそう言う道具に触れているときは、本当に幸せです。

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