文庫本と言うデザイン。

先にお伝えしておくと、最近はもう電子書籍の Kindle ばかり。でも、その前にあった体験として文庫本の存在が私の好奇心の受け皿であったこと、今でも読書に時間を割く気にさせてくれたことについて触れたいのです。

「単行本がほとんど無い。」

私の本棚には単行本は殆どなく、妻の本棚にはたくさんある。私の本棚はほぼ文庫本なので、出版社にとっては良客では無いのかもしれない。仮に文庫本の値段が単行本と同じだったらどちらを買うか、やはり私は文庫本を選ぶと思う。

つまり、文庫本と言うフォーマット自体が好きなのだと思う。まだ電子書籍と出会う前のこと、私は何らか一冊の文庫本をジーンズの後ろのポケットに入れていました。通学でも通勤でもそうだし、旅行中ですらそう。隙間時間が数分でもあれば読書をしておりました。一方で、自宅で読むことはあまりありません。本に対してそんな付き合い方でしたのでかさばる単行本では都合が悪かったのです。

「文庫本サイズと言う規格。」

つまるところの A6 サイズなのだけど、このサイズは文庫本サイズとも呼ばれている。実質的に世界共通の規格になっている A 判なので、ブックカバーにしても、本棚にしても豊富な選択肢があったりします。そして、何より素晴らしいのがこの文庫本サイズに国内のほとんどの出版社が準拠頂いていること。このような現象は世界でも稀なのではないかと思います。

この規格は私にとって 2 つの意味で重要です。ひとつはジーンズのポケットに収まる程度に小さいこと。もう一つは各社同じサイズであることで本屋でジーンズに入るか試さなくて済むこと。結局、私の読書機会を考えるとジーンズのポケットに入ることは最低条件ということになるのです。

単行本には個性と工夫のある装丁の美しい本があることは存じております。さまざまなフェチズムの対象として魅力は感じます。それでも私の読書は文庫本なのです。本の目的は人に読まれること、と捉えた場合、隙間時間で読書をする私にはジーンズのポケットに入れて常備可能な文庫本こそが本の目的を達成できるフォーマットなのです。

「紙が素晴らしい。」

海外の本、特に欧米の本で廉価版の位置付けとなるとペーパーバックが該当しますが、紙質の差は明白です。かなり目の粗い再生紙で厚く弱いので容易に破れます。表紙はカバーもなく、印刷の質も悪い上にコートがないので折れたところから紙の素地が出てきてしまうほどです。

日本の文庫本は前述の通り A6 サイズであることも素晴らしいのですが、それだけではありません。紙自体も素晴らしいのです。これは世界に誇って良い要素の一つだと思っております。単行本に対して廉価版の位置付けとなるにも関わらず、かなり良い紙を使ってくれているのです。

まず、インクを滲ませることもありません。このことは画数の多い日本語を A6 と言う限られた紙面に表現する上では欠かせない要素です。つまり、この優れた紙なくしてこの文庫本は成り立たないのです。加えて紙の薄さ。薄いけど強い紙は湿気もあまり吸いません。そのおかげでジーンズのポケットにも収まってくれますし、日本の湿気の高い気候の中でも長く繰り返しの読書にも耐えてくれます。

「文庫本と言うデザイン。」

文庫本は出版社問わず各家庭の本棚に無駄なく収まり、外出先でも気軽に読書できるようにデザインされたもの。実際の意図は存じませんが、勝手にこのように解釈しております。そう解釈できることが私のライフスタイルに読書と言う行為が取り込めた理由なので、私にとってちょうど良いデザインとなりました。

冒頭に述べたように、ここ数年の読書体験はほとんど Kindle に移行してしまいました。それでも、文庫本を手にする機会が失われたわけではありません。本当に好きな本は Kindle でも文庫本でも持っていますし、同じ本が何冊も本棚に収まっており、表紙のバリエーションが変わっていることだけを示す展示物のようになっています。出先で手が空いた際にうっかり買える手軽さ、好きな本を人に差し上げられる気軽さとしてまだまだ文庫本は頼りになっているのです。

余談ですが、妻と暮らすようになって互い蔵書を一つの本棚に収め直す際に気づいたことは、愛読書のかなりの部分が被っていると言うことでした。古典的な名著はさておき、選択肢の多い現代の中で決して著名ではない作品で被っていたのです。出会う前から、同じものを読んでいたと言うのは色気の無い私の人生の中ではちょっとしたロマンティックな出来事だと思っております。

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