通常の300倍のコストをかけてトースターを作った男の話

「あなたはゼロからトースターを作ったことがありますか?」

突然こんな質問をされたら、100人中99人は「無い」と答えるだろう。
残りの1人は、小学生の頃の夏休みの自由研究でトースターを分解して、一から組み直した解体好きの少年に違いない。

だけど、ここで問うている「ゼロから」の意味は、「部品から」という意味では無い。

トースターのフォルムを形成しているプラスチックや骨組みとなる鉄。パンをじんわり美味しく温めるためのニッケル。電流を通すための銅線。それらを坑道から採掘したり、化学実験により生成したりする。文字通り「ゼロから」作るのだ。

初めてこの本に出会った時「これが大人の自由研究だ!」とニヤニヤしながら読み進めた。一体どこの世界にマジでゼロからトースターを作ろうと思う人がいるのだろうか。

彼は、このトースター一個を作るために、家庭で一般的に使われているトースターを約300個買えるお金と、9ヶ月の歳月を費やした。その旅行記が「ゼロからトースターを作ってみた結果」である。

本の著者であるトーマスはイギリスの美大生で、彼のトースターは卒業制作として作られたものだ。彼がこのトースターを作ったのは、「身の回りにあるほとんどのものをもはや自力では作れなくなった」現代に対する挑戦だ。イギリスを北から南へ行ったり来たりするだけでなく、カナダまで飛んで材料の材料をかき集め、自力で精製していく。冷静に考えて”鉄”ってどうやってできてるんだろうなんて考えたことないから、家庭にあるものでそれを作っていく様子は読んでいて純粋に楽しい。電子レンジを溶解炉として使うなんて誰が考えるだろうか。

だけど、この本が伝えたいことはゼロからトースターを作ることがどんなに困難かではない。

僕らが当たり前に手にしているものの「本当のコスト」を考えたことがあるのかということだ。

例えば、銅を作り出すために掘られた穴には有害物質を含んだ水たまりができて、それは川へと流れ生活水としてその川の水を使う人を脅かす。でも、川を所有している人はいないから、川を汚していることに対して、だれかがコストを払うことはない。

でも、もし僕がその川の所有主なら、川が汚染されたことに怒るだろうし、汚した採掘業者にそのコストを請求する。そうすると、安易に銅が取れなくなるから、トースターの価値が値上がりする。

僕らが安い値段でトースターを買えるのは、誰も責任を追う必要のないコストを被っている人がいるからだ。「だからといってトースターを買うな」とトーマスは言いたいわけではない。

彼が言及したいのは、「いま買おうとしているものは本当に必要なのか?」と一歩踏みとどまって考えることだ。

トースターを組み立てた彼は言う。

僕らは自分の所有するものを、何でもかんでも他人のものと比べたがる。そうした意味においては、貧困という概念は相対的なものだと言える。一般に、居心地が悪く、健康的にも悪影響があり、長生きができないような環境を強いられることを貧困と呼ぶ。もちろんそれは正しいとは思う。でも、その定義は絶対的なものではないとも思う。「貧しい」という言葉が意味するものは、時代や場所によって異なる。「裕福」も同様だ。

この本が書かれた時に比べ、今は”シェア”の文化が当たり前になりつつあるし、モノより経験を欲しがるようになった。

最近、僕は「一過性の消費」についてよく考えている。モノだけじゃなく、経験もどんどん消費されるようになってきて、instagramの1枚やtwitterの140文字に消えていく。流行は生まれては廃れるものだし、そのサイクルがどんどんと早くなっている。

久々にこの本を読み返して、改めて目の前にあるモノや経験の裏にある莫大な努力やストーリーに目を向けるようになった。人が心に残すものは、やはりストーリーしかないのだと思う。

そう言う意味でエンタメと問題提起が一緒くたになったこの本はとても素晴らしい本だ。
あなたがこの本を読み終わった時、きっと次の日のトーストの味わいは変わっているだろう。

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