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スーパーヒーローになりたいあなたへ

男の子なら誰しも、小さい頃にヒーローへの憧れを持つと思う。

日曜朝7時半からの「スーパーヒーロータイム」。幼稚園児だった僕も、あそこに出てくるヒーローにどっぷりと浸かって、新しいヒーローが出てくるたびに親に変身ベルトや武器のおもちゃをねだった。

ベルトをつけてスイッチを押せば、ピカピカとランプが点滅して憧れのスーパーヒーローに変身することができる。なんどもなんども変身したのを覚えている。

子供の頃の世界は単純で、見た目がスマートでわかりやすい正義をつらぬくのがヒーローだった。
テレビの世界での悪役は、見た目もやっていることもわかりやすいくらいに悪だ。
だから、ヒーロー達も必殺技を駆使して、相手を倒せば良かった。倒すことが正義だったのだ。

スーパーヒーローになりたいという欲求は今でもべったりと残っている。

今年の1月からパーソナルトレーニングのジムに通いはじめて、もう半年。体重は4キロ、筋肉量も4キロ増えた。「なんのために鍛えてるんですか?」とたまに聞かれるけど、「強くなりたい」その純粋な動機しか無い。僕の頭の中ではマッチョ=強い人、という方程式が成り立っている。そして最近ではキックボクシングかジークンドーでも始めたいなとすら思っている。

そして、人生で一度いいから町中で何故か突然不良に囲まれるも涼しい顔をして彼らを倒す、というシチュエーションに遭遇してみたいと割とホンキで思っている。

そんな風に、あからさまな善とあからさまな悪だけがいるスーパーヒーローの世界のように、現実世界も単純であれば良かったけど、残念ながらそうではない。

倒すことだけでは、解決しないことが山のようにある。

物理的だろうと口頭だろうと、相手を打ち負かせばOKという思想では、今の時代ヒーローにはなれない。

否定や叱責は新しいひずみを生み出すし、視点を変えるとどっちが正義でどっちが悪かわからなくなってしまう。勝てば官軍というわけにもいかない。

じゃあ、今の時代のヒーローはどんな人なんだろうか。

僕は、今の時代のヒーローというのはどんな相手でも倒すのではなく、受け入れることができる人だと思っている。

そう考えさせてくれたのが「ここは今から倫理です」という漫画だ。

この漫画に出会ったきっかけは、たまたま試し読みができるサイトで見つけたことだった。

物憂げな雰囲気の教師が教壇の前に立ち「ここは今から倫理です」というタイトルが重苦しい雰囲気を醸し出している表紙に思わず引き込まれてしまった。バトル漫画でもコメディでも恋愛漫画でもジュブナイルでも無い。少しの怖いもの見たさみたいなものがあったかもしれない。

だが、試し読みをしたらどうしても次の章が読みたくなってしまい、気づけば本屋にいた。

「ここは今から倫理です」はクールかつどこか影のある倫理担当の高柳先生が、生徒の持つ悩みや苦しみと向き合い、それを受け入れ、彼らを解放していく物語である。

高柳先生は、これまでの教師が主人公として活躍する漫画の中でも圧倒的に地味だ。

重い前髪に濁った目。どう見ても喧嘩は強くなさそうだし、どちらかという他人に興味なさそうな雰囲気を感じる。現に、漫画の冒頭シーン、空き教室で高校生カップルがセックスをしている場面に遭遇しても顔色1つ変えること無く「ここは今から倫理です」とただ一言、氷にヒビが入るようにピシッと言うのみ。

そんな高柳先生は、”倫理”を武器に生徒たちの表には出すことのできない悩みを解決していく。例えば、第2話では「あること」が原因で自殺を図ろうとしていた女の子を、言葉の力と相手を受け入れる心の強さだけで救ってしまう。

倫理という学問は、学校では自分は習ってこない学問だった。そもそも選択科目にも含まれていなかった。

高柳先生も「倫理は仕事をする上では全く訳にたたない」と言っているくらい、倫理という科目は影が薄い。
では、倫理はいつ役に立つのか。それは「死が近づいた時」だと、高柳先生は言う。

人間は唯一、精神が肉体を殺す可能性がある生き物だ。

何気ない一言や出来事が、ある人にとってはずしりと重荷の様にのっかり、ずぶりとナイフの柄が体に入っていくような感覚を与える。どんな些細なことでも、だ。

例えば、日本の若者の自殺理由の1つに「就活の失敗」がある。うつ病や統合失調症精神疾患など、どうしようもない理由(そもそもそういう病気にかかってしまう現状を変えたいと思うけど)を除くと、「就活の失敗」は「仕事疲れ」の次に、自殺する理由として割合が高い。

留学している時、この話をイタリア人の友達にしたらずいぶんと驚かれ「お前は絶対死ぬなよ!」と言われたくらい、この数値は異常だ。だけど、当人にとっては就活で失敗することは、社会の価値観からすると人生の失敗であり、自殺する理由、自分で自分を倒すための理由になりえてしまうのだ。

そんな時、自分で自分が生きる意味を見出すことができたら、どれほど救われる人がいるだろうか。社会の価値観ではなく、自分の価値観を大事にできたら、若い人はもっと自由に生きられると思う。綺麗事かもしれないけれど。

僕は高柳先生のような人が、これからの時代のスーパーヒーローになっていくのだと思っている。痛みを理解し、否定をせず、受け入れる力こそが、真の強さかもしれない。

そして、倫理はこれからの時代のスーパーヒーローが一番学ぶべき学問かもしれない。

だって「倒す理由」ではなく、「生きる意味」を与えてくれる学問は、他に無いのだから


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