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誰かの今を美化する、という生き方

人生はない物ねだりの連続である。

今自分が手にしているものの尊さや素晴らしさに気づかずに、そこにはないものに手を伸ばしてしまう。どうして手に入ると色褪せて見えてしまうのだろう。あんなに買うまではワクワクしてた十数万のコートが、3回目あたりから慣れてしまうのはなぜだろう。嫌だった職場が、離れた途端よかった場所かもしれないと思うのはなぜだろう。どうして、目の前の現実より、記憶や想像のショーケースに入っている未来や過去の方が素敵に見えてしまうのだろう。

にも関わらず、それが一度手から離れた瞬間、その尊さに気づく。人は何かを手にしているときに、その手に入っているものを愛せなくなってしまうのだろうか。好きになるのは一瞬でも、長く愛するのには技術がいる。目の前のことを大事にするのは、それほどに難しいことだ。

金原ひとみの「持たざる者」は、そんな人間のとても人間らしい部分を生々しく描いている。

デザイナーとして独立し、順風満帆なキャリアを築くも、原発がきっかけで、妻と仲違いし、仕事もままならなくニートになってしまった修人。
フランスへの赴任の中、夫を残し一時帰国し、かつての同級生である修人と再開し、一夜をともにする千鶴。
イギリスでシングルマザーとして不労所得で暮らす、自由奔放で自分を持っていると羨ましがられるも、心の底では自分が他の人と同じ一つの点でしかないと虚しさを抱える千鶴の妹エリナ。
エリナの友人で、イギリスからの帰国早々、義兄夫婦に一軒家を乗っ取られ、絶望する朱里。

彼ら・彼女らは皆、今目の前の現実や日常を受け入れることを拒んでいる。その代わり、怒るかもしれない未来は、かつては憎んでいたのに、突然薔薇色に見えた日々を羨む。

一見すると、もっとも誰からも羨ましがられそうなエリナでさえ、(作中では千鶴や朱里から羨ましがられる存在として描かれている)自分の日常が煌びやかな日々ではないと感じている。イギリスにおける自分と他の国籍の人たちや娘のセイラが成長とともにとっていく自分との距離感に、なんとも言えない寂しさを感じている。そしてその矢先、再び不幸になるかもしれない、新しい希望に出会い、心を踊らせる。

では、筆者はそんな現実の絶望を伝えたかったのだろうか。そうではないと思う。

誰もが現実との折り合いをつけるのが難しく、未来や過去にすがって生きているということを伝えることを通じ、だからこそお互いを大切にし合おうということを言いたかったのではないか。誰もがやりにくい現実を生きていて、それでも頑張って、なんとか生きている。だから、愛するまではいかなくても、お互いちょっと譲り合う。それが少しだけ優しい世界につながるかもしれない。そんなことを伝えたかったのではないか。

現実を受け入れて、なんでも楽しめる人の方が、結局のところ幸せなのである。最近、僕が出会った方も、突然の頼み事にも関わらず「楽しそう!」とキラキラした返事をしていた。きっと、その人も生きている中で、嫌だなあとか、大変だ、と思うことがあるはずだ。でもそれをひっくるめて生きていて、楽しく振る舞った方が、良いのだと自然とわかっているのだ。

ないものをねだるのは簡単だし、あった過去を美化するのも簡単だ。
現実を受け入れるのは難しい。であるならば、せめて誰かの現実を美化する存在でありたいと思う。

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