見出し画像

個人的な話が社会問題と繋がるから映画は面白い。2022年の映画ベスト10

2022年公開の映画の中でベスト10を。

カモン・カモン(脚本・監督 マイク・ミルズ)

子供は写し鏡。

もしも、明日から9歳の甥っ子を預かるとして、その子とうまくコミュニケーションを取れるだろうか。9歳は、「9歳の壁」という言葉があるくらい、子供の成長発達段階において大事な時期な一つで、イヤイヤ期とも呼ばれる。

本作はラジオジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)とそんなイヤイヤ期真っ盛りの甥っ子ジェシー(ウディ・ノーマン)がお互いをぶつけ合いながら、少しづつ互いに理解を深めていく人間関係の変遷を描いたものだ。

ジョニーの元にやってきてからしばらくの間、ジェシーはジョニーの言葉を繰り返したり、天邪鬼な行動をしたりと、ジョニーを困らせる。最初のうちはジョニーもジェシーとどう接したらいいかわからず、戸惑うのだが、ある日ジェシーの視点で、ジェシーの世界に浸かることを境に二人の関係に少しづつ変化が生まれる。

そして迎える印象的なラストシーン。ジェシーが初めて自分の心を曝け出し、それを正面から受け止めるジョニーの姿。一旦、ここで二人の関係が一旦終わってしまうという状況も含め、込み上げるものがあった。今作のポイントの一つは「耳を澄ますこと」だと思っている。全編通してモノクロで作られている作品が、相手の言葉や周囲の生活音など含め、音にフォーカスを当てさせるように機能しているように思えて、それもまたよかった。

CODA(脚本・監督 シアン・ヘダー)

通じないから、努力する。

僕は家族との絆の映画に弱い。特に父親との関係にフォーカスが当たると大抵、泣く。

CODAは、耳の聞こえない両親と兄を持つ唯一の聴者ルビー()が、家族や教師に支えられながら名門音楽大学を目指す話だ。

自分の夢をとるか、家族を支えるかの二択を迫られた時に、星空の下のトラックの荷台で父親がルビーの背中を押すやりとりには、本当にルビーのことを愛してるんだなと熱い思いがこみ上げてきた。

家族とは結局のところ赤の他人であると思っている。母親とは本当に繋がっているかもしれないけど、父親は遺伝子情報を共有されただけの他人だ。でも、家族という枠があるから、たとえ他人だとしても愛そうと必死に努力するのかもしれない。100%の理解ができないからこそ、100%理解できたらいと思って言葉をかわす。その摩擦に人は心がうたれる。

ラストシーンのルビーの歌唱シーンも必見。

マイスモールランド(監督・脚本 川和⽥恵真)

社会は全然平等じゃない。

難民として日本に逃れてきたクルド人の女子高生を描いた「マイスモールランド」。是枝監督が立ち上げた映画製作会社「分福」が作っているということもあり、どうしようもない状況の中で、どのように人と繋がるのか、社会と繋がるのかに特に焦点が当たった作品だ。

こうした社会課題を扱った作品は、キャラクターの置かれている状況をわかりやすくするために、取り巻く人々が単純化され、ステレオタイプとして描かれがちだ。

本作でも、ハーフの主人公(嵐莉菜)に対し悪気なく「外人さん」「日本語が上手ね」と話しかけるお婆さんや、「ドイツ人のまつ毛の長さが羨ましい〜(主人公は友達に対してクルド人ではなくドイツ人だと伝えている)」という友達が出てくる。

ただ、そうしたステレオタイプ的なものの見方をしている自分もやはりいるわけで、あえてわかりやすく描くことで、視聴者がハッとさせられる瞬間を作ることは、意味のあることだ。

当然、映画で描かれていることはフィクションですし、もし実際のクルド人の方がこの作品を見たら、どう思うかも想像しなければならない。(これは、今作品に限らず、マイノリティのされる方を描く場合、忘れてはならないことだと思う)

映画を作ったからといって社会の状況がすぐに改善するわけではないが、それでも社会の中で自分が見えていない部分を知ることは非常に価値のあることだと思っている。2022年の中でも3本の指に入る作品だった。

秘密の森の、その向こう(監督・脚本 セリーヌ・シアマ)

不思議を不思議のまま受け入れる。

小さい頃は、不思議なものは不思議なものとして受け入れていた。例えば、ドラえもんの道具。どうしてドア一つでどこにでも行けるのか。どうしてプロペラ一つで空が飛べるのか。どうしてライト一つで小さくも大きくもなるのか。そんなこと、一切考えなかった。それがあることを当然のものとして受け入れて、作品を楽しんでいた。

ところが大人になると、あらゆるものに理由や根拠、構造を求めたくなる。
どうしてそれが可能なのかを解明したくなる。意味を見つけたくなる。それは悪いことじゃないけど、わからないことに対するもどかしさは募るようになる。理由のないものを受け入れるのが難しくなる。わからないのものを、分解せず、わからないものとしてわかろうとしにくくなる。

本作は、8歳の少女ネリー(ジョセフィーヌ・サンス)が、おばあさんが亡くなったことをきっかけに、おばあさんが生前住んでいた家を訪れる。家の裏手には大きな森が佇んでいる。その森に入った先でネリーが出会ったのは、自分と同じ年の母親だった。その日から帰るまでの数日間、二人の間で不思議な友情が生まれる。

なぜタイムトラベルをしてしまったのか。その理由を明確に書くことをしない本作を見て、きっと自分はこのプロットを書けないだろうと思った。だって、普通タイムトラベルをするならなんらかの仕掛けが必要なはずだ。バック・トゥ・ザ・フューチャーみたいに。でも、本作はタイムトラベルを不思議なこととして描かず、本当小さい頃はそんなことがあるのかもしれないという子供の頃の想像力を思い出させてくれる。

そもそも、本当に自分がちゃんと理解しているものなんて、ほとんどないのかもしれない。

ボイリング・ポイント/沸騰(監督 フィリップ・バランティーニ 脚本 フィリップ・バランティーニ、ジェームズ・カミングス)

炎上の火種を探してはならない。

沸点というタイトルが示す通り、終始じっとりとした嫌な緊張感が続くこの映画は、ビジネスの世界でありがちな「プロジェクトの炎上」を想起させる。

物語のはじめから、炎上の影はちらついている。シェフのアンディー(スティーヴン・グレアム)は家庭に何やら事情を抱えた状態でクリスマスディナーを迎える。レストランに入ると、そこには衛生管理者がいて、キッチンを嗅ぎ回る。入って1週間の新人や普段とは違うポジションを任されるスタッフ、遅刻しているスタッフ、足りない食材など、物語の冒頭からすでに何かが起こりそうな予感に溢れている。

開店したら最後、後戻りはできない。人種による客とのトラブルから始まり、客の無茶振りを許容するホールとそれに反論するキッチンとの論争、有名な批評家の来店、客とスタッフのコミュニケーションミスにより大事故など、あらゆるところで事件が起こる。

では、炎上の火種はどこにあるのか。

家庭環境に問題を抱えたアル中のアンディーなのか、客の無茶振りを受け入れる支配人なのか。はたまた、当てつけに現れたアンディーの同僚なのか。

そして、どうすれば炎上を鎮火させることができたのか。

プロジェクトの炎上を作品に取り入れている背景には、監督であるフィリップ・バランティーニの思いもあるようだ。

彼はCINEMOREのインタビューでこう答えている。

「メンタルヘルスだけでなく、人種差別、同性愛嫌悪など日常的に起こっている社会問題に関心があります。ですからそうした要素を、今回も一夜だけのレストランの物語に入れ込みました。そうすることで映画を観た人が、身近な問題に気づき、自分なりの対処の方法を考える可能性があります。メンタルヘルスで苦しんでいる人に「大丈夫ですか?」と声をかけるかもしれません。映画というものは、それが適切に作られたとしたら、観た人と世界の状況をつなぐ重要なツールとなる。私はそのように信じています。」

火種を探したとしても、すでに炎は周りに燃え移っている。僕らがすべきなのは、その炎を鎮めるために、お互いに協力する姿勢を見せることなのだ。

さがす(監督 片山慎三 脚本 片山慎三、小寺和久、高田亮)

佐藤二朗の怪演。

Twitterを見ても、漫画の実写化を見ても、ふざけ倒しているのか、真面目にふざけているのかわからない、佐藤二郎(褒めてる)。何を演じても佐藤二朗が役の中に見え隠れしやすいと思われがちだが、本作の演技は一切、佐藤二朗を感じない。これがずっと演技の道を積み重ねてきた人かと思わせられる。

本作では生活の中にある「身近な死」がたくさん顔をのぞかせる。安楽死、自殺願望、貧困、ネグレクト、障害などここで語られていないことも含め、社会の中で死とどう向き合うべきについて問いを投げながら、サスペンスとしてもテンポ良く進めていった良作。

日本ではまだ安楽死が認められていない。それは、どの時点での本人の意思かがわからないからだろう。もしデータの改竄が起こらないようになれば、安楽死が認められ、もっと死が身近になるかもしれない。自分自身人に迷惑をかけてまで生きたいと思わないし、日本人と総括りにするのは違うと思うが、そういう国民性であると思う。

しかし、残されたものはそれはそれで苦しみを伴う。たとえ生かされている立場であっても、生きてることでその周りの人は逆に生かされているのかもしれない。そう考えると、人と関わることは、よろこびと苦しみ、その両方を担うことなのかもしれない。

NOPE(監督・脚本 ジョーダン・ピール)

バズとの距離感。

片田舎に突如現れた正体不明の飛行物体。親から受け継いだ牧場を経営しているOJ(ダニエル・カルーヤ)とM(キキ・パーマー)は、この飛行物体をカメラに収めてメディアに売り渡し、一攫千金を試みる。

圧倒的なCG技術によって生み出された飛行物体の表面は、キノコの柄の部分のような白さと軟性を誇っていて、本当にこの存在がこの世に存在しているかのように思える。

奇特な存在とそれを捉えるカメラという構図は、バズを追い求める現代社会を皮肉っているようにも思える。面白いコンテンツを作るために時には危険を顧みなくなってしまう様子などまさにそうだ。

アテンション・エコノミーという言葉があるように、今の時代はいかに自分に注目を集められるかに皆がしのぎを削っている。自分もその一人だ。ゆえに、ではアテンション・エコノミーが丸々悪かというと、そんなこともない。むしろ、そうしたルールの中で、自分が踏み込んでいい領域を見極められるかが大切であり、それができるやつになれと言われているような気もした。

あのこと(監督 オードレイ・ディヴァン 脚本 マルシア・ロマーノ、オードレイ・ディヴァン)

主人公と同化する。

舞台は1960年代のフランス。中絶が違法とされていた時代に、大学生のアンヌ(アナマリア・バルトロメイ)は妊娠が発覚。中絶に加担すれば刑務所行きとなってしまう社会の中、彼女はどんどんと孤独になっていく。

アンヌは労働者階級の出身であり、当時のフランスで学位を手放すことは、一生庶民階級から抜け出せないことを意味していた。

何がなんでも中絶を実行するために、アンヌはさまざまな手法を試みる。そこで描かれる痛みは、いつの間にか観客のものにもなっていく。本当に下腹部が痛くなり、貧血のような症状が体を襲う。映画館で本当に体調が悪くなったのは初めてだった。

「あなたは<彼女>を、体感する」。本作のポスターに書かれたこのコピーの通り、巧みなカメラワークと音楽によって、自分自身がアンヌとなり、孤独と痛みに押しつぶされていく。

この作品には原作があり、それは原作者であるアニー・エルノーの実体験を元にしている。ここで描かれている痛みは存在したものであり、そして今でも存在するものだ。男性こそ、ぜひこの映画を見てほしい。

アフター・ヤン(監督・脚本 コゴナダ)

なんでもない日常も、誰かにとっては幸せな日常。

僕らが写真や映像で記録するものは、基本的にポジティブな意味合いのものが多い。自分や友達が映るものなら尚更だ。だから、写真や動画を見返すとき、そこからはポジティブな記憶が蘇ってくる。だが、もし生活をランダムに記憶したものがあるなら、そこにはネガティブな記憶もあるだろうし、もはや気にもとめていなかった記憶があるかもしれない。

“テクノ”と呼ばれる人型ロボットが、一般家庭にまで普及した未来世界。茶葉の販売店を営むジェイク(コリン・ファレル)、妻のカイラ(ジョディー・ターナー・スミス)、中国系の幼い養女ミカ(マレア・エマ・チャンドラウィジャヤ)、テクノのヤン(ジャスティン・H・ミン)は幸せな家族生活を送っていた。ある日、ヤンが故障で突如動かなくなってしまう。ヤンを治すために修理屋に駆け込むと、ヤンが生活のさまざまんシーンを数秒間だけ記録していることを知る。

ジェイクはヤンの過去を振り返る中で、彼が家族に向けていた愛情や周りの人が彼に向けていた愛情を知る。その中には、彼が気にもとめていなかった記録があり、その記録を通して、ジェイクのヤンと思い出が塗り替えられていく。記録と記憶の間を行き来する、温かいSFストーリー。

さかなのこ(監督 沖田修一 脚本 沖田修一、前田司郎 原作 さかなクン)

「わからない」ことを「わかる」こと。

本作の「さかなクン」こと「ミー坊(のん)」は、魚を愛する一方、人間に対しては、良くも悪くも忖度せず接する。自分をからかう同級生も、イチャモンをつけてくる不良にも、突然家に転がり込んでくるかつての友人にも、同じスタンスで接する。それが、ミー坊の魅力であり、狂気でもある。人に対する執着が薄いからこそ、ミー坊は魚を好きで居続けられたとも捉えられる。

だが、本当に「ミー坊」は人に執着していないのだろうか。

ミー坊は確かに異常なほど魚が好きで、人を評価しない。だが、そのようにミー坊を作り上げているのは、周りの人間ではないだろうか。「ミー坊は変わらないね」というセリフは、ミー坊を本当に理解しようとしていないからこそ出るセリフなのではないだろうか。

人は自分では理解できないものに遭遇すると、それを理解することをやめてしまう。だが、わからないものは「わからない」として受容することが、本当は大切なんじゃないだろうか。そんなことを考えさせられた映画だった。

(おまけ)
ここには入れなかったけど、「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」のラストシーン、リアーナの歌声と映像は殿堂入りです。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

最後まで読んでいただきまして、有難うございます。 あなたが感じた気持ちを他の人にも感じてもらいたい、と思ってもらえたら、シェアやRTしていただけると、とっても嬉しいです。 サポートは、新しく本を読むのに使わせていただきます。