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誰かに引き出される行動が、自分を変える

「人が変わるシステムとは何か」

映画「俺たちは天使じゃない」を観て、そんな疑問がふと浮かんだ。

本作は、ロバート・デ・ニーロとショーン・ペンW主演のアメリカのコメディ映画。二人が演じるのはネッドとジムという窃盗犯。ある日、死刑囚ボビーの死刑執行に立ち会った二人は、一瞬の隙を突いて警官を撃ち殺し脱獄を図るボビーに巻き込まれる形で、カナダとの国境近いニューイングランドの小さな町に逃げ込む。

そこで最初に出会った老婆に「自分たちは神父です」と嘘をついたことから、町の協会にやってくる予定だった著名な神父と間違われてしまう。なんとかして国境を越えようと画策する二人だが、教会の面々や耳の聞こえない少女とその母との出会いなどから、悪者だった二人の気持ちが、春の雪解けのように徐々に変わっていく。

善人と悪人はどうわかれるのか

主人公の二人はもともとは犯罪者だ。町に着いた当初、なんとか国境を越えるために、人の家の洗濯物を盗んで着替えたり、立ち寄った雑貨店で銃を盗もうとしたりする。物語の序盤でネッドは「助かったら遊びまくるぞ。誰にもジャマなんかさせねぇ」と意気込むくらい利己的だ。

ところが、神父として迎え入れられたことで、二人は意外な形で善行をすることになる。二人が間違えられたのは、著名な出版物を刊行した神父たち。教会にはその本のファンがいて、例えばジムは「この文はどういう風に解釈したら良いのでしょう」と聞かれる。当然、内容なんてわかっていないジムは適当な返事を返すのだが、それを好意的に受け取られてしまい、感謝さえされてしまう。また、ネッドはただ歩いていただけなのに、「修道院に寄付します」とお金を渡されたりする。

おそらく窃盗犯だったころの二人は人から感謝されたり、人のためになにかをする機会などほとんどなかっただろう。ネッドは物語の終盤までわりと自分本位な面を見せるが、ジムはもともと流されやすい性格も相まってか、途中から「この協会に残ろうと思う」なんて言い出す。

大前提、法律を破ったり、人を傷つけることは絶対にしてはいけない。それを踏まえた上でだが、二人を観ていると、一度悪事を犯したからといって、一生変われないのかというと、そんなことはないように思える。

彼らと対照的に描かれているのが、町の警察だ。ある日、ネッドが協会の懺悔室に隠れていると、一人の警官が罪を話しに来る。なんでも、妻が居るのに他の女の人と寝てしまったとのこと。善の象徴である警官も悪事を働き得る。

孟子は「性善説」において人の性の本質は善であり、悪は人の心の外に存在すると述べた。一方、荀子は「性悪説」の中で、人の性の本質は悪(ここでいう悪とは犯罪などではなく、人の弱さを指す)であり、学びによって、礼を身につけることで、「弱さ」を押さえられると述べた。

当時はどっちが正しいかで争っていたようだが、人間が善になるか悪に負けるかは、自分のどの側面が引き出されるシステムの中にいるのか、だと考えている。

「分人」と「肩書き」が人を変える

小説家の平野啓一郎さんが唱えた説に、「分人」というものがある。分人とは、コミュニケーションをする相手によって引き出される個人をさらに分けた単位だ。親と話すときの自分、恋人と話すときの自分、上司と話すときの自分。どれも自分だが、コミュニケーションの仕方は異なるだろう。

この引き出される自分は、自分が何を期待されているかによって変わる。例えば、仕事の場面において引き出される自分は、家で子供あやすときに引き出される自分ではないだろう。自分の行動とは、自分の意志でしているのではなく、引き出されるものに従っていると僕は考える。

つまり、自分のどの側面を引き出してくれるかによって、人はいかようにも変わる。引き出される自分は、関わる人によって異なる。経営コンサルタントの大前研一さんが、「自分を変えたいなら、時間か住む場所か付き合う人を変えよ」と述べたが、周りに居る人次第で、その人は善にも悪にもなり得る。

現に、ネッドもジムもカナダに逃亡したいという思惑のため嘘をつかないといけなかったにせよ、周りから神父として接せられたことで、善なる分人が少しづつ漏れ出している。

分人に加えて、その人を定義する「言葉」も人を変える。ネッドとジムは、「神父」という肩書きを背負わなければならなくなったことで、行動や言葉が制限され、不本意ながらも善行を働くことになる。

肩書きの効能は大きい。例えば、新卒で入った社員が名刺に「セールス」と書かれるか、「COO」と書かれるかでは、その後の行動が全く異なるだろう。肩書きはその人に責任を負わせ、行動を縛る。逆に言えば、自分がありたいと思う姿の肩書きを勝手に規定すれば、そのように自分は変わっていける。

置かれたところで咲きなさい、という言葉があるが、僕はその考えにはあまり賛同できない。アスファルトで咲ける花もあれば、咲けない花もある。

善人になるか悪人になるかも、活躍できるかできないかも、自分の引き出される分人や肩書きによって異なる。もし自分を今すぐ変えたい、自分のポテンシャルが発揮できてないと思うなら、自分にとってベストな分人が引き出されるシステムに飛び込んでみると、案外簡単に変わるかもしれない。

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