【本質】謙遜は捨て、謙虚になろう
「私なんてできませんよ」
「こんな私ですけどやってみます」
どっちと一緒に働きたいか。私なら圧倒的に後者だ。
日本には、「謙遜」の文化がある。それが美徳とされる謎の文化が。辞書で「謙遜」と調べてみると、こう書いてある。
――相手に遠慮して、自分の能力や価値、言動などをわざと低く評価すること。
なんだこれ。
何故こんな言葉が生まれたのか不思議なくらい馬鹿げた内容だ。敢えて自分の価値を下げてどうする。こんな人が近くにいて得をする人なんているだろうか。一緒に物事を進めるのに、自信のない人とは組みたくない。
一方で、似た言葉に「謙虚」がある。こちらは辞書でこう定義されている。
――つつましく控えめなさま。おごりたかぶらず素直なさま。
これだろう。
決して過大評価をしろと言っているのではない。そんなやつは見苦しいだけだ。(大抵実力が伴っていない。)
ただ、下げる必要がない。欠点はそれとして認めるが、それをカバーする他の何かに目を向け、そっちを伸ばすことに注力するのだ。
恋愛だってそうだ。
「俺なんて頼りないから」
「私なんて面倒臭い女だから」
いやうるさい。そんな人間といるとこっちまで不幸になる。
自己をマイナス評価する言葉の後には、必ず "逆接" を使おう。「謙遜」をすることでしか自分の立場を守れずに来た人もいるのかもしれないが、そんなのからはいち早く脱出しよう。
「俺は頼りないかもしれない "けど" 大切にする」「私、面倒臭いところもある "けど" 許してね!笑」
これで日本が少しでも明るくなることを祈る。
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