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母と娘の連鎖

「母の愛情」とは何なのか?

その不思議なふわっとした塊は何者なのかが、なんとなく分かったのが産後1か月のことだった。

妊娠8か月から切迫早産になって2か月間の安静入院により、筋力が全くなくなったところからの自然分娩で体力を使い果たし、そのまま睡眠がまともに取れない新生児育児をスタートさせた私は、実家へ里帰りして家族(主に母)の手を借りて、甘えさせてもらいました。

自分から娘が生まれ出てきた瞬間「この子のためなら自分の命を迷わず差し出せる」と直感したことを、覚えてる。

でも、普段はどんなに大人ぶっていようが、自分が母親になろうが、いざ困ったときには“まず最初に母親を頼ってしまうものだな”と、この時つくづく思ったのです。

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里帰り中のある日、娘のベビーベッドを置いている2階の部屋の換気が気になり、1階に置いてあった大きな空気清浄機を2階の部屋に移動させようとしたときのこと。

娘が寝ている隙に、私が一人で空気清浄機を持ち上げていると、母が「そんな重いものを運ぶの、あなたには無理よ! ほら貸しなさい」と言って、母が運ぼうとするのです。

いやいや、待って!

たしかに私は、中学では吹奏楽部・高校は帰宅部と、運動とは無縁で体力も力も無いタイプ。
一方で母は、中学高校とバレー部のキャプテンを務め、学校でスポーツテスト1位を取ったこともあるという体力の持ち主。

だけども!

当時、母は63歳、私は35歳の健康体。
どう考えたって、年齢的に見れば私が運ぶべきだと思うのです。

でも、母は「あなたは昔から力がないから」と言って、結局空気清浄機のタンクだけ抜いて私に持たせ、本体は母が運んでくれてしまった。

この時、「そうか、母にとっては、私がいくつになっても娘であることに変わりないんだ」と、注がれ続ける“母の愛情”という塊の正体に、気づかされたのです。

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産後1か月半が過ぎた頃になると、まだまだ十分な睡眠は摂れていないものの、育児にも少しずつ慣れてきた私。

すると人間とは不思議なもので、「そろそろ自宅に戻りたい」と、母から自立したくなったのです。我ながら、子どもって本当に勝手な生き物だな(笑)

そして、私は娘を連れて自宅に戻り、新生活をスタートさせました。

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それから1年ほどが過ぎた頃、母方の祖母が体調を崩し、入院しました。

もう長くはないとのこと。

私の母は一人娘だったので、初孫だった私のことを相当可愛がってくれて、大好きだったおばあちゃんです。

ある日私が母と、祖母のお見舞いに行くと、朦朧とした意識の中で祖母は母に向かって一言、「今日の夕飯は準備したの? 大丈夫?」と、心配するのです。

私はこの祖母の発言に、ただただ驚いた。

自分が生きているのもやっとという状態なのに、娘の夕飯の準備のことを心配しているのですから……母の愛情とは、ここまで深く注がれるものなのかと。

そして母が「大丈夫だよ、もう買い物はしてあるから、あとはお肉焼くだけ」と言うと、祖母は安心した表情で眠りについたのです。

祖母は、その数日後に亡くなりました。
その直前まで、母や私たち家族のことを心配していたそうです。

人生を終えるその瞬間まで、わが子に愛情を注ぎ続ける祖母の生き様は、母になったばかりの私に、とても大切なことを教えてくれた気がします。

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今でも私は母とスーパーに買い物に行くことがよくあるのですが、買った食材を2つの袋に分けて入れると、母は決まって軽い方を私に持たせようとするんですよね。「あなたには、こんなに重い袋持てないわよ〜」と、やっぱり真剣に言ってくるのです。

いつまで経っても母は母、娘は娘。
祖母が病床で、母の夕飯の準備を心配していたように。
困ったときは母に頼って、自分で出来るようになったら自立したくなる私のような娘のように。

母から娘へと、注がれ続ける愛情の連鎖に「ありがとう」

私から娘へ、娘からその先へと……この連鎖はきっと続いていくのだろう。

そんな母であり、娘でありたい。


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