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(小説)砂岡 1-3「ビンカン」

*注意してくだい。センシティブな内容が含まれています。


あのひどい砂嵐の日から1週間がたった。

 新型コライダーの諸元のパンフに目を通した後、中庭に先生がいた。あれはベンチに腰掛け、本を読んでいる。わたしはパンフをバッグに入れて、改めてそいつを見下ろす。とてもイケメンだ。髪がさらさらしている。きっと教師陣内ではモテるに違いないだろう。クラスでは嫌われているがね。わたしは特にこいつが嫌いだ。あたりまえだ。

「今日も熱いね〜。これからランチ?」

 先生が15m下から話しかけてくる。本は右手ある。見えていたのか。どっちが早く互いの存在に気がついたのだろう。まぁどっちにせよ、こいつのこの余裕溢れる態度が何よりも嫌いだ。また砂嵐が来て、窒息しろ。

 やつは本を閉じやがった。それどころか、ニコニコと近づいてきた。強化ガラス越しに階段を登ってくる。蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうか、わたしは一歩も動けなかった。こいつは一種のセクハラなんじゃないか、とも思う。先生が?いやこの透き通った建築を作った奴が、だ。

「今度の校外学習の班ごとのリサーチ、君に仕切らせてしまってすまないね。」

なんだ。そんなことを言うために来たのか。わたしが視線を反らすと。
『しかし、どうにもならないときには、どうにもならないのです。選択できる領域がわたしに残されている場合には、わたしは二律背反(アンチノミー)、矛盾にあって、たえず、二つのもののあいだで折衝するための最大限の自由をもっていたいのです。』

いきなり、どうした。この暑さに脳が茹で上がったか。おめでとう。あの神々しいトイレの光が先生を照らしている。

「ハルキくん、実はぼく、ゲイなんだ。」

うん。・・・ん?
先生の右手には3cmの本が握られている。なんてことはない。

「本当に、申し訳ないと思っている。だけど、あのディベートの日、いまでも、どうしたらいいのか。どうするべきだったのか。わからないんだ。中井海央さんのかっこいい弁論とき、僕はワクワクドキドキしていた。」

 新任の担任はこれだから嫌なのだ。デリダなんか持ち出してきやがって。体制側らしく振る舞えば、学生側としてもやりやすいのに。どうしても対自即自存在になりたがる。

「勝手にしてください。」

わたしも優しくない。

「実はこれを・・・。届けてほしいんだ。」

 それは、急に先生の右手から湧き出たファイルがふたつ。先生は魔術師だったか。それぞれここ1週間分のプリントだ。宿題や父母と教師の会に関する3行の週間報告も含まれている。こんなもの電子メールで送ればいいのに、わざわざ、プリントアウトしやがって。インクと紙がもったいない。

「誰に?ですか?」

我ながら愚問だと思うが。一応。

「森川と中井海央さんに・・・です。」

なぜに敬称に差があるのだ?その全角三点リーダーはなんだ。

「わかりました。」

…わたしはひょっとしたら、優しい。




 お布団で、枕に突っ伏していたら、いつの間にか、夜になっている。
別に寝ていたわけではない。むしろ眠りたい。

「裏切られた…」

中井さんの家が第1区にあったことがショックだったのではない。もっと現実は過酷で…
つまり、わたしは森川君にまた、告白されてしまったのだ。

「なにがモノガミーよ!」

今度は一度目とは全く状況が違う。やつは私が男に興味がないことをわかっていて、告白してきたのだ。告白って何?この世界はなに?ほんとうに、どいつもこいつも可哀想ぶりやがって。先生といい、中井海央さんといい、森川といい、なんだって、みんなしてわたしの安心を奪ってゆく。

「わたしだってね…」

 一人の部屋に、涙声が響いたって、誰も駆けつけてくれやしない。塩崎が来るだろうか、いや、来なくていい。ママが来るだろうか、いや来ないで。そんな期待…
 こんなとき、唯一頼れるのは、森川君だった。森川くんなら安心して打ち明けられた。彼は絶対に(とりわけ私にとっては)、恋愛とは無縁だから。だから安心できたのに、あいつはそれを…

「みんな自分のことばかり…」

 妹はいま、大英帝国本土でエンジニア留学中だ。将来は英陣両大国間に鉄道を敷きたいらしい。大層なことだ。それなら政治家になるべきだろうに。鉄道が引かれたら、難民が山ほど増えるだろうな。いや、応援してるよ。

会いに行こうかな。わたしも学校、休んじゃおうかな。でも、私までそんなことをしたら、先生は自殺するかもしれない(笑)。

「わたしはレズです。」

中井海央さんのせいだ。あいつが何もかも…

でも、中井海央さんは本当に間違っていたのだろうか。

あの歯切れの悪い先生の恫喝は、ある意味的を得たけれど、それでも、彼女の存在感はわたしの胸の中にしっかりと残っている。

どうしてあそこまで、真剣になれるだろう。

誰もが、触れたくない問題に真摯に向き合った彼女はむしろ評価されるべきなんじゃないか。そう感じる。あのとき。

「わたしだって、わたしだって、レズよ!」

と言っていたら、どうなっただろうか。

すっきりしたかもしれない。
だけれど、それはいま、すごく政治的だ。




*注意してくだい。下記にはセンシティブな内容が含まれています。

 INLF(入雅独立解放戦線)のイデオロギーについてはディベートで何度も何度も触れられていた。あの学校にはディベートしかないのだから。大英帝国の教育方針である。表面上では自由主義をうたいながら、そうやってマイノリティを福祉とカウンセリングのものとに圧倒し、潰す。「私たち」が経験してきたように。
 当事者でもない人間同士には、私や中井海央さんのような福祉からも、医療からも、可愛そうな眼差しからも、逃げ続けるような人間の地獄は理解されない。理解されるべき対象ではなく、治療の対象だからだ。
 本当に地獄だ。内務省の統計的には私たちのような性的マイノリティは全人口の0.01%らしい。じゃあさ、イルガの独立運動にどれだけ世界中から「そういうひとたち」が集まっていると?嘘だ。その数字はカミングアウトから逃れ、心に閉じ込めている人数を差し引き、さらに、最後まで追い詰められ自殺した人間の数を、差し引いた数に違いない。
 そう。ディベート。ディベート。ディベート。カウントされない私や中井海央さん。そうやってカウントされない人間の外側で空中戦を繰り広げながら、毎日が始まり、終わる。人生が始まり、終わる。そうやって私も後を追うまでのタイムリミットを生きる毎日なんだ。
INLF(入雅独立解放戦線)がそれを政治的にした。
 いや、そもそもセックス自体がもとより、とても政治的なものなのだ。
もっと枕が濡れてゆく、ひやっと冷たくなった部分にもう一度顔を押し付ける。このまま窒息死したい。もしそれに気がついていて、中井海央さん
も同じ気持ちでいたのなら。いや、気がついていたんだ。

以上


中井海央さんは森川くんの言う通り勇敢だ。
場所が場所なら英雄だったのに、学校ではテロリストだ。

「はぁでもやっぱり怒りのほうが込み上げる。」
先生からもらった2人へのプリントは父の部屋でシュレッター済だ。

なんだろう。この腑に落ちない感じは。
枕カバーが涙と鼻水でいっぱいだ。


眠れる方法を思いついた。
太ももに手を触れるとそれは敏感に反応した。


「今日は、しよう。」





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