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90年代のカルトと大学

 私が大学に入学したのが1990年と91年。なぜ2回入学したかと言えば、最初に入った大学に在籍中に入学試験を受けて、別の大学に入り直したからだ。

 いわゆる仮面浪人だ。

 この件については何度か書いているので、ここではこれ以上は触れない。以下の記事などを参照されたい。

 最初に入った大学は、理工学部だけ別キャンパスにあったので、「大久保工科大学」などと言われた早稲田大学理工学部、学科は応用化学科だ。

 工場みたいなキャンパスは、早稲田大学の本部キャンパスとは違い、いわゆる学生運動のようなアクティビティは感じなかった。もちろん部活動の部室があるようなブースがあって、理工ワンダーフォーゲル部に所属して山に登ったのだけど、勉学以外の雰囲気はあまりなかったと言える。

 先ごろ亡くなった中村メイコさんの夫、神津善行さんが授業をされていたのは覚えている。講義の内容はだいぶわすれてしまったが、赤坂、つまりAKASAKAが逆再生してもAKASAKAである、という話は、34年経った今でも覚えている。

 それはともかく、勉学、研究以外のアクティビティが目立たない理工学部のキャンパスでは、宗教の勧誘のようなことはなかった。

 ところが、入り直した東大では、実に宗教活動が盛んだった。何度も勧誘され、危うい場面もあった。

 上の記事で大体書いた話ではあるが、少し補足して、当時の大学キャンパスのカルト事情について振り返りたい。

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このマガジンでは、“めずらし医“である病理医の中でもレア中のレアなフリーランスの病理医からみた病理診断、医学界の話、研究者になることに挫折し学士編入学を経て医師になった者から見たキャリアの話、そして「科学ジャーナリスト賞」受賞者の視点から見た科学技術政策の話の3つの内容を中心に綴っていきます。

フリーランスの病理医兼科学ジャーナリストである榎木英介が、病理、医療業界や博士号取得者のキャリアパス、科学技術と社会に関する「機微」な話題…

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