繊細さんの磨き方 感受性のある私が大好きだった件
梅雨のせいなのか、寂しいという気分になってました。
さみしい、孤独だ。
そう思う方も多いのではないでしょうか。
そういった感情が嫌でどうにかしたくって
余計にしんどくなる。
私的、あるある現象なのですが。
そんな梅雨めいた日に気づいたのが、
感受性高い私が大好きだったと気づいたのです。
だって、それが私でしょ。
感受性高くて、寂しくなったり、感情が動く私が好きなのに。
なんで否定するの。
そこがいいのに。
そこが大好きな部分なのに。
内観していて、ハッとしました。
外側の価値観や常識で捉えてしまうと
寂しい・悲しいとかをダメなものにしてしまう。
でも本当は大好きでしかない、尊い部分でしかなかった。
感受性を嫌う自分というのをよくよく見るときっとみんな大好きな気持ちを秘めている。
嫌いだなんてのは本当は幻想でしかない。
気づいたから言えるけど、きっとまた忘れるのだけど
でも、そうやってダメだといっている私でさえ
本当の気持ちに気づくと、まあそうなることもあるよね。
でも、また戻ればいいよね。
何度も何度も、そうやって戻ればいいだけ。
本当の気持ちを忘れることさえ、罪でも何でもない。
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