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生活の一部としての公園を考える ─ 善福寺公園を歩いて

ようやく酷暑が落ち着き、朝から気持ちの良い気候だったので、ずっともったいぶって行けていなかった場所へ向かう。西荻窪駅から北へ、深く掘り下げられたいかにも都市河川といった善福寺川に沿って歩くと、住宅街の真ん中に忽然と森が現れる。ここが、神田川の支流で住宅街を流れる小さな川・善福寺川の上流端、善福寺公園だ。
善福蛙のプロジェクトとして知った遅野井川親水施設を見に行くのが当初の目的だったけど、池をぐるっと一周しながらこれからの公園についてあれこれ考えてみた。

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善福寺公園は、昭和のはじめに周囲が急速に宅地化される中、その良好な自然環境を保存するために、昭和5年に都市計画法による風致地区に指定された後、昭和36年に都立公園として開園した。風致地区の指定以降、池の整備、ボート経営、施設管理などか先人の熱意と努力によって行われ、現在の公園の姿に繋がっている。
この公園では、どこを歩いても池を取り囲むようにして水辺を向いたベンチが置かれている。若者というよりは近隣の家族連れや老夫婦が、それぞれの平和な休日の昼下がりを楽しんでいる。ボートの浮かぶ池とそれを一周する園路の風景は、同じく湧水を由来とする池を持つ井の頭公園に似ていると思ったが、立地や周辺環境の違いからか善福寺公園のほうがより落ち着いた空気が流れている。それに、池の水面までの距離も近いような気がする。ベンチに座り、ただただ揺れる水面を眺める時間が気候も相まって本当に心地よい。植物はかなり繁茂し、寝そべることのできる芝生広場やしゃれたファニチュアがあるわけではないけど、いい意味で「脱力した」空間といった印象だ。なんというか、しっかりと草の匂いがして懐かしい。武蔵野地域本来の雑木林や屋敷林はこんな雰囲気だったんだろうか。

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最近は設置管理許可、Park-PFI制度、立体公園制度等を活用し、カフェなどの収益施設と綺麗に手入れされた芝生を持った都心のイケてる公園が注目され、ちょっとしたブームにもなっている。そういった公園と比べると派手さはないが、古き良き緑地公園といった雰囲気が善福寺公園にはある。地域の人たちが肩肘張らず本当の意味で憩う空間、生活に根付いた空間なんだなと実感する。買い物に来た若者がセルフィーに勤しむ都心の公園も、タンクトップ姿のおじさんがただただぼーっとしている住宅地の公園もそれぞれ違った役割があり、私たちの生活を支えている。公園にも「ハレ」と「ケ」があるんだな。

さて、全体を一周し終わり、目的の遅野井川へ。

ここ、東京都杉並区の善福寺公園の中に、遅野井川親水施設が2018年7月にオープンした。遅野井川とは神田川支流の善福寺川の源流で、善福寺上池の湧水・遅野井(現在は地下水ポンプアップ)から付けられた名前だ。子どもが自由に遊ぶことができて、武蔵野の郷土種の水生植物や生き物を再生した、善福寺上池、下池をつなぐ全長150mほどの水路公園だ。もともとはこの水路はコンクリート擁壁と鉄柵に阻まれ、水路内は藪化し、人が入ることができない状況にあった。
善福寺公園に自然再生された水路の物語|ハビタ的 都市のつくりかた https://www.realpublicestate.jp/post/habitalandscape-02

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池を中心とした善福寺公園の中でも、直接水に触れることができるのはこのエリアだけだ。通路から水面へ向かって緩やかなのり面でですりつけられ、家族連れがそこにレジャーシートを敷き、子どもは自然と水のほうへ向かう。一方で対岸や上流を見ると多様な水生植物が茂っている。都市部の公園でありがちな「じゃぶじゃぶ池」的な親水施設とは明らかに一線を画した、「小川」と呼んでしっくりくる質の高い自然環境となっている。以前の姿を知らないが、オープンからも時間が経ち、ずっとそこにあったと思わせるほど自然で周囲に馴染んだ空間だった。

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重要なのは、遅野井川再生の計画段階から現在の維持管理までが、行政と地域住民ほか川を愛する多様な人たちの関わりの中で、これまでの歴史や先人のビジョンに敬意を払いながら実践・運営されてきたことだと思う。収益施設を設置し、公民連携で公園の整備・維持管理費用を賄う手法も都市部ではひとつの有効なやり方ではあるが、地方や住宅地では事業者にインセンティブが働きにくいうえ、数年~数十年程度の事業期間が予め設定されているため、その先にどうやって公園を持続可能なものにするかは慎重に議論する必要がある。百年後の未来にも良好な空間を残すことを考えるとき、善福寺公園のような地域に密着した公園にとっては、地域住民に愛され、日々使われることが何よりも肝要だと考える。芝生広場がなくとも、その場所に寄り添ってデザインされた空間で人々はチルできるし、お金を生むハコがなくとも、先人から受け継いできた資産を活用して公園を持続させることもできるのではないだろうか。

ただし、そこに公園があるだけで住民が愛してくれるというわけではない。場所の歴史、地形・地質等の特徴を適切に理解し、住民と行政と繋げ、そのコミュニケーションから在るべきビジョンを見出し、それを形にする一連のプロセスが必要になる。そこには長く愛されるためのさり気ない仕掛けや仕組み上のデザインも求められる。そこに、専門家やデザイナーの参画や連携の意義があるのだと思う。

withコロナ・アフターコロナ、とはあまり言いたくないが、コロナがなくとも働くことに対する価値観が変わり、身近な生活圏での暮らしがますます重要になる時代に入りつつある。都心の公園の在り方だけでなく、日常生活における最寄りの公園・緑地の価値をもっと見直していきたい。
まずは自分も、地元や今住んでいる街のためにアクションを起こそう。

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これからもがんばります。