新川燕

にいかわえんです。鼻声のとき調子いい気がしてます。

新川燕

にいかわえんです。鼻声のとき調子いい気がしてます。

最近の記事

  • 固定された記事

【詩】まだ乳歯ですが

言葉を音に変えて文字に変えて うちから外へと晒すとき くちびるはひどく重さをもっている 手までもひどく震えている このままずっと コトバを並べて 文をつづるとどうなるだろう 乳歯の並ぶクチのままだろうか このままずっと コトバを並べて 文をつづり続けるとどうなるだろう 永久歯の並ぶクチとなるだろうか いまは小さく弱いコトバの並び まるでガタガタなコトバの並び 乳歯はいつか窓から宙へと飛び立つだろうか 永久歯はいつまでもそばにいてくれるのだろうか わたしの乳歯に

    • コバシリ書1

      いまの価値観を構築してきただろう漫画に間違いなく五十嵐大介の『海獣の子供』がある。久しぶりにその要素が吸いたくなり演じてた愛菜ちゃんのインタビュー動画をみた。愛菜ちゃんは当時15歳だったらしい。となると自分は16歳だったことに気づく。理解できたようで何もわたしは分かってないんじゃないか。分かることはないんじゃないか。今でも思わされる作品を好んでいた自分をへンテコだったなと思えたけれど、懸命にわたしを振り翳していたわたしに会えた気がした。 わかるって なんでしょうね ほんとう

      • ひとりごちて

        いろんな場所へ行こう 外へ外へ出よう 大事におもえる場所が増えるから 元気かなって心配できる場所が増えるから いろんな場所へ行こう 音が止まるまで

        • 改乱反射.

          言葉は、ミラーボールの光に似ている。 いつどこにどんな時その光は届くのか。 わけの分からなさが、まるで似ている。 何年か後にふと思い出して、 いつもより目が開いて嬉しくなるときもあれば、 いつもより足早に家に帰りたくなるときもある。 残酷にも放った光はすぐに記憶から消える。 照らされるダンサーは 強くギラめいた光を忘れない。 〜〜〜〜 『あとがきノあがき』 されたことはササッと忘れて してもらったことをハッキリ覚えていたいです。

        • 固定された記事

        【詩】まだ乳歯ですが

          恥アリでもまだ測ります.

          ヤマシタトモコ先生の『違国日記』を読んだ。 人と違うとはなにか考える質は元からあった。読んだあとは、その質が濃ゆくなり生活のふとした瞬間に滲んでいくように考えがとまらなくなる。ふだんの伊達メガネがサングラスへと変わり、色がつきフィルターが増えたような、視界も変わってみえる。 太陽はひとの心や孤独なんてアメ玉ひとつほども意識せずに、ハレたりクモったりただ昇り下りして生き物の毎日を変える。そんな毎日の中で、わたしが知らぬ間に手元にかき集めていた恥と対峙させられたのが『違国日記

          恥アリでもまだ測ります.

          小枝に負けた日の話.

          ただ歩くそれだけの行動にこんなにも内側は穏やかになる。内側から生まれてこのかた一度も止まることのないそれが穏やかな音をたてる。ただわたしはそこにある。そう気づかされる。 川沿いをゆく。耳の相棒は今は肩にかけて休ませてやろう。川にはたくさんの小さきネッシーたちがいる。たまに足の踵を空に強くむけて、ときにそのお尻をふりふりとさせる。癒し。ある程度の間隔で上から下に自ずと流れるそれが音をたてている。つよく鼓膜に存在をしらせてくる。 せまい土手を歩く。向かいから自転車がきた。よけ

          小枝に負けた日の話.

          バスに乗車チュロスに着地.

          映画鑑賞の約束のためバスに乗る。人はまばらだった。座席に腰かける。フィールドライティングなる作業があるらしい。ふと思い出したのでやってみることにする。バスは揺れている。 飛行機の音がする町からとんびの声がする町にきて数年になる。引越したての時、何もなかった場所にペンキが塗りたてピカピカの店ができた。バスで通りすぎる。 ピカピカはカツ屋らしい。にぎわっているようだ。 カツはあまり食べない。へぇ〜と目線から流す。 ふと町の変化に気づく自分に、気づく。なんとかやり過ごせている生

          バスに乗車チュロスに着地.