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恥アリでもまだ測ります.



ヤマシタトモコ先生の『違国日記』を読んだ。


人と違うとはなにか考える質は元からあった。読んだあとは、その質が濃ゆくなり生活のふとした瞬間に滲んでいくように考えがとまらなくなる。ふだんの伊達メガネがサングラスへと変わり、色がつきフィルターが増えたような、視界も変わってみえる。


太陽はひとの心や孤独なんてアメ玉ひとつほども意識せずに、ハレたりクモったりただ昇り下りして生き物の毎日を変える。そんな毎日の中で、わたしが知らぬ間に手元にかき集めていた恥と対峙させられたのが『違国日記』だった。身に蓄えていた古傷にも目を向けることになった。


物語が進む上で、朝(名前)は暗い夜の中に灯るキャンドルに似ていた。小さなカラダで風をうけて時に力強くよわく燈を揺らす。人と違うことを気にしていてフツウを求めていた時があった。対するわたしはフツウを嫌がる質だった。ひとと違うことは喜びに近いもので、ときどき気まぐれに馴染まないフリをするのがよかった。それは愉悦で爽快でもあった。

違うことは未知で、それを選びとっていない人にはできないナニかがあるような気がした。そうどこかで信じてもいたし、そのナニかを得ることを特別立派なことにも感じていた。


読んだ後に、よく耳にする言葉で受け取り方が
変わった言葉がある。

みんな違ってみんないい



金子みすゞの言葉だ。寒い日に買ったホットレモンを手に包んだときの温度にその言葉は似ている。


でもどうもホットレモンだけではこの世界は
まだ少し肌寒い気がした。
カイロも握ってホットレモンをこの手で包もう。
もっとあったかく美味しくなればいいと思った。

みんな違ってみんな自然



…当たり前ってことは何もないね…。
と槙生ちゃんは言っていた。

違うことは私が思っていたよりもずっとどこまでも自然で当然のものと気付かされた。これだけはどうにも当たり前のことなんだろうと思う。わたしはなにを悦に浸っていたのだろう。
これこそ知らずに私が蓄えた恥のひとつだった。



誰かの自然は時に形を変えて
押しつけ・決めつけ・しつけにもなる。
そんな可能性を秘めている。

認識、理解、和解、尊重、計測、衝突




人との距離を測ることは難しい。
顔を赤くしてばかりだ。


不器用な私は何度も衝突してしまうのだろうけど
諦めも悪いので今日もまた測る。




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『あとがきノあがき』

夜、好きな会話や言葉をメモしていたら
窓の外に朝がいました。

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