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あの時、助けてくれて、ありがとう。
先月、3歳の男の子が亡くなった。死因は熱傷性ショック。母親の交際相手の虐待死。しかも今年に入って4回、行政に虐待を疑う通報があったにも関わらず、最悪の結果となった。
母親にも、交際相手にも、行政に対してもいろんな感情が湧き起こるけど、誰かを責めたとしても2度とその子の命は戻ってこない。今日は誰かを責めるような話をしたいわけじゃない。
今回、この思いを書き留めよう思ったのは、忘れてた記憶を思い出すことができたから。
実は私も、今回の事件のような経験をしてきた人間。
本当の父親が亡くなり、お母さんの交際相手と同居することになった。
初めのうちはとても優しい人だった。たくさん遊んでくれた。
けれど次第に働かず無職となり、毎日酒浸りに。
お母さんがパートに行っている間に私たち姉妹はその男から虐待を受けていた。
最後は、毎日のようにお母さんがその男から殴られ、顔がボコボコの血らだけの日々を送った。
そして、ことは動いた。
1994年8月31日。
当時、小学4年生、夏休み最後の日。
昼間、男が外へ出かけたタイミングで5人〜6人の大人が家に乗り込んできた。
わけがわからないまま、お母さんと私たち姉妹は市役所へ連れていかれた。そして同居していた男は市役所まで追っかけてきて「返せ」「帰るぞ」と叫んでいたが、私たちはその男の家へ帰ることはなかった。
あとになってわかった。
私たちは「保護」されたのだ。
その日のうちにお母さんと一番下の妹は母子寮へ。
残る私たち3人は一時保護所へと移動した。(のちに児童養護施設へ入所する。)
あのときは、自分に何が起きているか全くわからず、しかも最愛のお母さんと離れ離れになる恐怖しかなかった。
けれど、大人になって、今になって、あの状況が理解できるようになった。
あの時、どこかの誰かが、役所に通報してくれたから私たちは保護された。助けてもらった。
もし、あのとき、外からの助けがなかったら、今頃生きてたかわからない。(同居の男は、孤独死している)
もし、運良く生きてたとしても、今とは全く違う人生を歩んでたと思う。
あの時、恐怖でしかなかった思い出が有難い思い出へと変わった。
見ず知らずの誰かが声をあげてくれたから、手を差し伸べてくれたから、今がある。
あの時、助けてくれて、本当にありがとう。
そして紡がれたこの命を大事にします。
他者の命も大事にします。助けます。
そして、先月亡くなってしまった3歳の男の子。
次、この世にくるときは、最高に幸せになりますように。
心からご冥福をお祈りします。
あなたの分も精一杯生きるからね。
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