NIGHT OUT
夢っていつ叶うんでしょうか?
そう聞くと、彼は少し困ったような表情で答えた。 「いつでしょうねぇ。叶い終えられないんじゃないかな。生きてる限り」
しとしとと体を冷やす雨の降る代官山。
夜も深くなりつつある時刻に、ビニール傘をさして現れたのは、フォトレタッチャーのカヅキさんだ。
ほんわかとした雰囲気をまといつつも少し鋭い目つきをした彼には、ある過去がある。
「自分を…終わりにしようと思ったんです。もう無理、ってなって」
カフェラテに口をつけながら、彼はそっと話し続けた。
カメラマンになりたい、と決意して20歳で三重から東京へ。
自分で貯めたお金で入った専門学校を卒業し、たまたま声をかけてきた写真家の「弟子」として働いていた時のことだったという。
「朝から朝まで、24時間働いていました。本当に地獄だったなあ…仕事しすぎてもうわけわかんなくなってた」
寝ると怒られる、30分おきにLINEで事務報告をさせられる、払われない給料…明らかにブラックな仕事環境で、それでも働き続けたのは「焦ってたから」と、苦笑する。
「あの頃は絶対にカメラマンになれると信じてたんですよね。とにかく早く一人前になって、周りを見返さなきゃって思ってた」
カメラマンになりたい、と願う人はたくさんいる。
ただ、実際に活躍できるのは「才能あふれる」ごく一握りだ。
逃げたら負け。一人でどうにかしなければ。早く次に行かなければ。売れっ子になりたい…
誰にも見せられない「弱み」と自分の理想と現実のギャップ、ブラックな仕事環境が、当時の彼に追い打ちをかけた。
「勇気とか、自尊心とか、ありとあらゆるものが全て殺されてたんですよ。何もなくなって、空っぽになって。お金もないし、生きてる意味もないなって」
少し居心地が悪そうに語るカヅキさんに相づちをうちながら、当時、彼は本当にボッキリ折れて、自分を取り巻く社会や自分自身に絶望してしまったんだな、と思った。
じゃあ、そんな彼はなぜ、今も私の目の前で穏やかに笑えているのだろう?
聞くと、ある風景写真を見せてくれた。
「死ぬ前にどうしても見ておきたい、って思っていた場所があって」
差し出されたiPhoneに収まった小さな写真データには、すい込まれるように青々とした草原と、広い空を反射した池の水が映し出されている。
「これを見るために3日間かけたんですよ。家から群馬県の尾瀬まで。自転車で。全財産1万円くらいだった。
もう死ぬからって思いながら自転車こいで。山を超えて、着いて。
でもね、実物を見るまでは、確かに死のうと思っていたのに
この景色見たら、とにかく生きようって思って。
水もすごく綺麗で、空に反射してきれいだなって。もう一度来たいって。
今度はこんな無茶苦茶な工程じゃなくて、万全の状態で撮影したいって。
だから帰ろうって思ったんです。何もないけど生きて帰ろうって」
たぶん、事件のようなものだったんだと思う。
知る前の自分と知った後の自分が、全然違うものになってしまうくらい、 「何もない」自分でも生きていいんだ、って瞬間的にわかってしまうくらい、カヅキさんにとって、尾瀬の景色は衝撃だった。
その後、カヅキさんはフォトレタッチャーとしての道を歩み始める。
カメラマン以外の道が、自分により「しっくりくる」道が見つかったという。
それって、前持っていた夢を諦めたってことですか?と尋ねてみた。
「夢って一度決めたらこう!みたいなものではなくて、その都度、軌道修正していくものだって今は思ってます。
だから、今の自分のあり方には満足しているけれど、夢はまだ叶ってないですよ。やりたいことがいっぱいある」
20代の頃の自分だったら邪道だ!ってなりそうですけど、とカヅキさんは困り顔で笑った。
一度思い描いた夢を変えることって、逃げなんだろうか?妥協なんだろうか?彼の話を聞いて、私はそうではないと思った。
カメラマンになりたい、と息巻いた当時の彼は、確かに視野が狭かったのかもしれない。
せめて周りの人に相談していれば、尊厳を踏みにじられて、生きる気力が完全になくなるまで、ボロボロにならなくてもよかったのかもしれない。
でも「そんな失敗をした」のも自分なんだ。
絶対叶えたい夢を抱いたのも、本気で死にたいと思ったのも、夢のあり方が変わったのも自分。どうしようもない事実だ。
「まずは自分自身のことを認めてあげないと。
こうだと決めた道以外を進もうとしている自分を受け入れてあげる。
どんな道選んでも、自分だから。
今の自分に満足してないのも自分だから、自分以外の何者にもなれない。自分は自分だから」
カヅキさんを変えた尾瀬のあの景色に、私もいつか出会いたいと思った。
※NIGHT OUTは、私が個人として続けているインタビュープロジェクトです。「夜の街」をテーマに、普段は聞けない「大人の話」を深掘りする連載です
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