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親子の信頼関係が無ければ子どもは簡単に病む

このニュース記事、昨日見てびっくりして判例を読んでみた。

■大津いじめ自殺で仰天判決「自らの意思で自殺し、両親も精神的に支えられなかったので過失相殺」として賠償額10分の1に
https://buzzap.jp/news/20200227-otsu-ijime-osaka-h-courts/

この佐村裁判官の判決はまだアップされてなかったのか見つけられなかったけど、下級審のがあったので読んだ。

多分だけど、この佐村裁判官はかなりフラットかつフェアに判決を出したと思う。

まず、佐村裁判官は下級審同様、亡くなったことといじめとの因果関係は認めてるらしいし、同様に加害少年の責任も認めてるらしい。判例によれば、原告は民法714条で訴えてたけど、ニュースによれば加害者本人の責任を認めてるみたいだしね。

ただ、下級審の判例を読む限り、亡くなった少年の家庭環境もかなり問題あったと思う。親との信頼関係の無い家庭において子どもが不安定になるのは当たり前だし、いじめがある前、小学生の頃から親子関係は不安定だったようだし、いじめられている間に関係を改善してその子が心穏やかにいられるよう努力したかというと、その様子は見られない。いじめられているという不安定な状況で、母親から「離婚を考えてる。家に戻ったとしてもあなたのお父さんとはどう付き合ったら良いかわからない」なんて言われたら、そりゃますます不安定にもなるよ。

自己責任論か?!みたいな書き方もされてるけど、自殺が自分の意思によるものであるのは事実だし(まぁでも、言い方は他に無かったのかなぁ、とは思う。)、そうならないように家庭等ににおいて努力する必要はあると思う。これが努力してたのにこの判決なら「おいっ!」ってなるけど、この家庭においては自殺の原因をいじめだけにするのは家庭における責任逃れ感はある。

だから「お互いに問題はあるよね?」という過失相殺なのは納得いくし、とはいえいじめによる責任の重さは十分あるから被告に対して「このくらいは払いなさいよ」と言っているし、相殺したのも既に原告は和解金を市からもらってるのを考慮してだし。

そう考えると、佐村裁判官の判決は自己責任論によるものではないし、むしろこれでいじめだけに原因を求めたらそれはそれで問題あったと思う。

いじめは絶対に悪いけど、そこから自殺を選ばずに生きる道を選ぶのは本人だけでは難しいと思う。むしろ、子どもが生きていく上での親の責任・家庭の責任を認め、自己責任ではないよと言っていると思う。

それよりも私はこの判例を読んで気になったのは、亡くなった少年が「発達障害かもしれない」って言われてたことだよね。

判例に書いてあった事が事実なら、発達障害があろうとなかろうと、この家庭環境というか親子関係というか父親の在り方では子どもは不安定になるよ。それを「発達障害かも」でひと括りにして、子どもの成長過程における変化や幼児期における愛情の不足からくる不安定さを「病気」のせいにして親子の信頼関係を築く努力をしないのは、そっちの方が問題だと思う。(まぁ、亡くなった少年とお母様の関係を見ると、お母様は多分お母様なりに頑張ってたけど、子どものこと以上に旦那さんと自分との関係がしんどかったんだろうな、とは思う。)

亡くなった少年は祖父母の家からお金を盗んでたみたいだけど、絶対サインだったよね。おばあちゃんが心配して話を聞こうとしてくれてたみたいだけど、おばあちゃん一人では思春期の不安定な青年はなかなか支えきれないよ。。。

佐村裁判官を責める論調も見受けられるけど、佐村裁判官よりも父親の在りように目を向けて、自分の家庭を省みた方が良いと思いました。

まぁ、記事の元ネタが朝日新聞だからこういう論調になるのか、とは思ったけど、それにしても見たいものしか見てない記事だなぁ、と思いました(*-ω-)

ここまでお読み頂きありがとうございます!重度のアトピー(癌だった疑いあり)から医者にかからず回復中の一男二女のお母さんです。日々の出来事から感じたことや考えたことを綴っています。元気になったら表現活動や新月材を使った場所作りなどしたいことが沢山あるので、応援宜しくお願い致します!