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せめて自分の人生の主人公くらいには。

自分の母親を見ていると、ふと思ってしまうことがあります。

「せめて自分の人生の主人公くらいにはならなくちゃ」と。

私は24歳社会人2年目。
妹は22歳で来年からいよいよ社会人。

私が生まれてから、母親はずっと自分のことは二の次で
買い物や予定の調整など、いつも私たちを第一に優先してくれていました。

とても感謝しています。

得に社会人になって自分が給与を稼ぐようになった今、
自分が稼いだお金を人のためだけに使うなんて

正直今はできないなと思ってしまいます。


ただ、私は母親に本当はもっと自分のことを大事にして欲しかった、とよく子どもながらに思っていました。


私の家庭は一度父親が体調を崩し、
娘2人を大学まで行かせてくれるためには母親も働く必要がありました。

週3のコンビニパートと、公文の習字の先生の二足わらじです。

コンビニのパートは早い日は朝5時から、
コンビニパートの後に午後から主にわんぱくな小学生に習字の指導をする。


稼いだお金はすべて生活費と、私たち娘の服やお小遣い、
私たちの将来に備えた貯蓄にまわし

本人はUNIQLOで10年前に買ったジーンズを履く。

「ママも好きな服とか買いなよ」と言っても
「そんな余裕ない」の一点張り。

本当に私たちを思って全部を、私たちに注いでくれていた。
その気持ちにとても感謝しています。



ただ、無理して100を注いでくれていた分
私たちへの期待レベルも徐々に上がっていきました。

小学生の頃からいつも、書道や絵、作文は学年の中から表彰されないと怒られる。
中学校も私立に通い、そこでレベルの高い人たちに囲まれ相対的に低い順位をとると怒られる。
ストレスで中高時代、太った時期には
存在や生活音自体をきしょいと言われ、毎日怒鳴られる日々が続きました。

部屋にいながら、急に迫ってくる強い階段を登る音、
甲高い叫び声。

小学5年生から高校2年生まで毎日6年間つづき
私も母も心がボロボロ。

大学受験で田舎の大学に進学し そこでようやく家を出るタイミングを見つけました。



物理的に距離を置くと次第に関係も良好になり
私自身も大学、社会人で一人自由気ままに生活させてもらうことで

だいぶん精神的に安定してきました。


正直当時は、こんなに自分を否定してきて疲弊し、拒絶を感じていましたが
今となっては、親も人の子とか更年期だったのかな?

と自分の中で母親も”一人の他人”として自分と切り離してあげると
冷静に思いやりたい気持ちが募り、今はもっと母親に共感して寄り添いたいという感情が大部分を占めています。

上からになるけれど”許す”という言葉が近いのかな。


今母親が好きな、御朱印あつめにたまには付き合ってあげたいな?とか
年一で楽しみにしている駅伝話でもっと一緒に盛り上がれたらいいな?とか。


ただやっぱり、どこかに母親みたいにはならないぞという決意もあって

そのために金銭的に選択肢をもてる生活水準にならないといけないとは思っています。だからお金にはちょっぴり貪欲な方です。多分。


長々書きましたが、私は自分の人生を生きたいんです。
毎日をずっと楽しみながら生きていたいんです。

親が楽しそうな方が子だって幸せですもん。


そんな気持ちで、自分の人生の議事録としてこれからもnoteを綴っていきたいと思っています。
なぜか急な決意表明になりましたが。

自分を大事にして、その次に他人も大事にする。

それくらいの気持ちでいるのがやっぱり丁度いいんじゃないかなって思います。

それくらいのラフさで、でも大切に生きていたいと思います。






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