見出し画像

建仁寺で国宝「風神雷神図屏風」を見る/京都市東山区

京都府大山崎町にある大山崎山荘美術館で開催されている「アンドリュー・ワイエス展」(2024年9月14日(土)~12月8日(日))に行くついでに、折角京都へ行くんだから、他にどこか美術館に行きたいな、と検索したら、ヒットしたのが国宝「風神雷神図屏風」を所蔵している「建仁寺」(お寺さんであって美術館ではないが)。

「風神雷神図」、建仁寺にあるのはキヤノンが作成した高精細複製作品。実物は京都国立博物に寄託きたくしてある。


★国宝「風神雷神図屏風」(高精細複製画)俵屋宗達

左隻 雷神
右隻 風神
国宝「風神雷神図屏風」(高精細複製画)俵屋宗達 17世紀・江戸時代 建仁寺蔵
”定かではないものの、京都の豪商、打它うだ公軌きんのりが京都・妙光寺の再興を祈念して、宗達に制作を依頼、後に建仁寺に移されたと言い伝えられている。”


★「〇△▢乃庭」

正面に見えるのは重要文化財「方丈」の大屋根
「〇△▢乃庭」単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四台思想(地水火風)を地(▢)水(〇)火(△)で象徴したものとも言われる。
小書院の「〇△▢の掛軸」


★「潮音庭ちょうおんてい」四方正面の禅庭

緋毛氈ひもうせんが敷いてあり、座って庭の眺めを味わえる
潮音庭ちょうおんていの先に「小書院」


★重要文化財「花鳥図襖」(高精細複製画)海北友松 16世紀・安土桃山時代

建仁寺方丈の障壁画中、友松らしさがもっともよくあらわれているとの誉れが高い作品
今まさに飛び立たんとするばかりに体をよじる孔雀


★重要文化財「竹林七賢図襖」(高精細複製画)海北友松 16世紀・安土桃山時代 

竹林七賢とは、中国の魏晋ぎしんの時代(3世紀半ば)国難を避け、竹林の中に入り、酒をお飲み、楽を奏で、清談(俗世から超越した談論)にふける七人の賢者のこと。
当時の権力者である司馬一族による礼教政治(言論の自由が許されない)を批判していたといわれ、
その自由奔放な言動が後世の人々から敬愛されたと伝わる。

東京都中央区にあるアーティゾン美術館で、因陀羅いんだらによる国宝「禅機図ぜんきず断簡 丹霞たんか焼仏しょうぶつ図」を見た時の可笑しみを思い出した。時の政府に斜めに対峙する、体制に盲目的に追従しない生き方、いいな。

★重要文化財「雲龍図襖」(高精細複製画)海北友松 16世紀・安土桃山時代 

建仁寺方丈に招かれた客が最初に通される礼の間に於いて、咆哮とともに雲間から出現する龍と、
待ち構えるように睨みをきかす龍に迎えられる。

大雄苑だいおうえん

方丈の前庭「大雄苑」。美しく整えられた白砂。


★「法堂はっとう」の小泉淳作筆「双龍図」

「法堂」主に禅宗の仏教寺院において、僧侶が修行者や大衆などに経典を講義したり、説法したりするためのお堂のこと
法堂の天井画「双龍図」は2002(平成14)年、建仁寺開創800年を記念して、日本画家・小泉淳作氏によって描かれたもの。
製作は北海道河西かさい中札内村なかさつないむらの廃校になった小学校の体育館を使って行われた。
風が吹くと足元から底冷えのする日ではあったが、快晴の空の下の京都観光。良き日だった。


★ここの天井にも龍が。禅居庵の「雲龍図」1879(明治12)年

禅居庵にも天井画がある。鈴木百年・鈴木松年の父子合作による「雲龍図」

今から約145年前、幕末から明治時代にかけて活躍した絵師、鈴木百年とその長男・鈴木松年によって描かれた雲龍の天井画。
経年による劣化や蠟燭の煤などにより大変見え難くなっている。天井画は、その大きさと環境から、掛軸や襖絵のように修復保存することが難しく、天井に描かれた龍の寿命は長くても200年と言われている。
人間の生命に限りがあるように、この龍にも寿命がある。その為、いまこの瞬間見る龍は今しか見られない姿。

禅居庵

うす暗い堂内に入って天井を見上げる。見えない。ほぼ真っ暗な天井。角度を変えると見えるかしらと首を傾げたり、立ち位置を微妙に変えたり。でも、見えない。と、この日は風が吹いていた日、光線を遮る雲でも払われたのだろうか、龍が一時姿を現した。アッと思う間もなくまた見えなくなり、待つことしばし、また一瞬龍が姿を現した。得難い邂逅に感謝。

いいなと思ったら応援しよう!