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アイデンティティ問題が解決した件

先日、日本に約3年ぶりに帰国した。帰国前に片道300kmをドライブし、カルガリーで行われたカナダ心理学会で口頭発表とポスター発表をしてからの帰国もあって、若干の疲労を伴っての帰国だった。

そんな僕だが、カナダに住み始めて、8年が過ぎようとしている。今年31歳になる僕にとって、人生の約3分の1を海外で過ごしていることになる。日々海外生活が長くなる僕が帰国時に定点観測していることは、

「自分がどれだけ日本人であると感じるか」

である。これは僕のアイデンティティ問題に関わる。以前の帰国では、日本人の顔をして、日本語を喋り、日本のパスポートを持っているにもかかわらず、中身はどんどん日本人ではなくなっていく自分に一抹の寂しさを感じていた。かといって、完全にカナダ人にもなれない。では、そんな自分は一体誰なのか。そんなアイデンティティの問題が僕の中に発生していた。

さて今回の帰国ではどう思うかをある意味で楽しみに帰国を待った。いざ、帰国してみると、なんのことはない。どうやらこの”アイデンティティ問題”は勝手に解決していたようだ。日本に帰って、友達と時間を共にすると共に、自分は「日本人でもなく、カナダ人でもない」から「日本人でも、カナダ人でもある。そしてそんなことは特段、どうでもいいことである。」に変化していた。

では、そんな変化はなぜ生まれたのか。原因は二つあると思っている。一つ目は、自分がどこにいたとて、自分のやるべきことを淡々するということが国籍よりもはるかに重要であるということを無意識に考えていたからだと思う。つまり、自分を規定するのは国籍ではなく、自分がこれまで何をしてきて、現在何をして、これから何をするかであるということである。そこから自分のアイテンディティは生まれるべきであり、兎角、国籍と自分のアイデンティティに距離ができたことが一つの要因であるように思う。

今までは、自分の国籍というものが自分のアイデンティティに相当に関わってきていたように思う。「日本人としての感覚を失っている安田」という事実をなかなか受け入れずにいたが、言うなれば、「日本人としての感覚は自分の人生に必要なのか」という問いに答えが出た形である。

そして、より重要な二つ目である。一見このアイデンティティ問題に関わっていそうにないが、直接的に関わっているのが、僕の友達の存在であるように思う。

よく考えなくても、自分は日本社会から外れた道を歩んでいる。そこでよくある周りの反応は2つで、
「変人がいる。近づかんとこ。話合わんわ。」
「面白いやつがいる。話聞いてみよ。」
基本的にはこのどちらかである。僕の周りには幸いにも後者の友達が多くいたことが、このアイデンティティ問題を解決したように思う。なぜか。それは、後者の友達がいたことで、自分が今していることを否定せずに済んだからだと思う。もし前者の友達がいたら、「周りと外れた道を歩んでいる。周りは自分をよく思っていない。もしかしたら自分のしていることは間違いっているかもしれない。」と思っていたと思う。実際、こう思っていた時期もあった。大学四年生の時、周りが就活や国内の大学院に進学する中で海外の大学院に進学する大学生なんて知り合いには文字通り僕しかなかった。そんな時、「果たして自分の決断は正しいのだろうか。」と1年間思い悩みながら、消化のいい蕎麦とうどんしか食べれずに、それでも中島みゆきの「ファイト!」をヘビーローテーションしながら「俺は世界で戦うんだ」と強がって、孤独な自分を支えていた。でも、今回の帰国で、

次の日、有給をとって、夜中まで時間を共にしてくれる友達がいて、
日本からイタリアに飛ぶ空港まで来てくれる友達がいて、
会いたいといって集まってくれる高校の後輩たちがいて、
遠方からわざわざ運転してきてくれる友達がいて、
どんなに時が経っても変わらない対応で接してくれる友達がいて、
さらにいうと、そういう友達と会いたいと思う自分がいて、
(多くの友達とお会いすることができました。本当にありがとうございました。)

そういったひとつひとつの事象たちを鑑みて、僕がこれまで一人で歩んできた道は人とは違ったかもしれないけれど、間違っていたわけでもなかったのかもしれないと思うことができた。ひいては、そういう友達がいたから自分のこれまでの戦いを正当化できたように思う。そういった意味で僕の友達には本当に感謝しかない。「変人の自分を受け入れてくれてありがとう。」「いつも変わらず同じように接してくれてありがとう。」そう言いたいです。だから逆にいうと、これからも戦っていかなければならないし、その戦いの中で、自分の人生を自分で創造することが僕が今までも、そしてこれからもしなければいけないことであるように思う。

今も実際、苦悩を2つ、3つ、抱えている状態である。というか前回苦悩がなくなった時なんて何年前だ、といった感覚である。ただ今回の苦悩はどうやらめちゃくちゃ大きい。それでも、それと逃げずにしっかりと向き合って、才能のない人間であるという自覚のもとに、その才能のなさを努力でカバーし、ぎりぎりのところでなんとか乗り越えて、努力という背伸びをして出来るだけ上の世界を見てみたい。そうやって人生を創造していくのが僕の人生なのだと思う。そんな帰国でした。また、地味な努力と共に、一つひとつ積み重ねていきたい。

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