見出し画像

貯蓄の取り崩し。過去の自分からの支援金だった。

コロナ禍で貯蓄を取り崩しているというか、独自の見解を持っている相手からは婚姻費用の支払いがなく、幼子を抱えてのこの数年。

色々なことがありすぎて、仕事の事まで手が回りません。

回っていたのは、相手が起こした言動と行動に対する周囲への謝罪や説明でした。今でも続いています。

子どもを連れ去るような相手とは、一緒に暮らすことはできません。
言い訳を並べられても、事実は事実。
自分の思い通りになるように、傷つくことを平然とやってのける人とは、一緒にいられずはずがありません。

私が長年育んできた人間関係を壊し、全く関係のない方々を虚偽の内容で周囲を巻き込んで、本当に疲れていました。

民法第760条「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」とあります。

婚姻期間中の生活費、子供の教育費等を離婚成立までの費用を請求する婚姻費用分担請求をしました。
判決が出ても全く応じないのに、面会交流を求めてくる。
意味がわかりません。

夫婦間で争っているのとは別に、子どもは成長します。

訳の分からない相手に振り回されつつ、子育ては24時間。

相手からの嫌がらせを受け、楽しいと思える幼き時を、今では思い出すことができません。でも、必死になって育児をやっていました。

どこで知り得たのか。
相手は法律のすき間をかいくぐり、悪知恵を働かせて司法の場を利用して攻撃を仕掛けてくる。リーガルハラスメントです。

コロナ禍で期日も延期となり、相手に証拠集めをする時間を与えているような感じになってしまい、やはり周辺を動き回っています。

でも、生活は続きます。

当初、貯蓄は離婚後の資金に使おうと思っていましたが、離婚はまだ先になりそうで、これでは貯蓄も目減りして底が見えてきそうです。

元気に走り回る子どもに成長し、たくさん食べるようになって、お金も少しづつかかるようになりました。

私にといえば、独身時の体形を維持すれば洋服代は浮くと考えたり、必要最低限なお金のかけ方をしています。

実は、貯蓄が減ることに対して、罪悪感がありました。

「これから、もっとお金が必要なのに」
「ない。ない。ない。なくなる。」
そんな思いが、ずっとありました。

でも、思ったんです。

以前の私は、仕事で多くの人と関り、知らなかったことを知り得た喜びが原動力となって、休日や寝る間を惜しんで働いていました。

今では副業はあたりまえですが、複数の仕事を抱えており、自然とお金が貯まっていた気がします。

「お金を貯めて海外旅行に行こう!」
「ブランド品を買おう!」とか、そのような気持ちはなく、働くことが面白かったのです。

過去の自分から、未来への自分へ残してくれたもの。

「今を生きていられるのは、過去の自分からの支援金だったんじゃないか」

心に浮かんだ言葉から、脳内に過去の出来事が鮮明によみがえり、自分自身に泣けてきて、涙が溢れて止まりませんでした。

「あの頃の自分も頑張っていて、今の自分も必死に頑張っているんだ」と思えたのでした。

貯蓄を取り崩した言い訳に聞こえるかもしれませんが、私にとっては腑に落ちる解釈だったのです。

心から自分を褒めたたえられたことはあったのかと問うと、自分に厳しくしていたり、責めてしまっていたことが多かったかと思います。

過去の自分、ありがとう。

否定ばかりしてごめんね。

「今の自分から、未来の自分が幸せだと感じられるように、言動と行動を心がけて、少しづつ歩んでいこう」と思えた時、すでに朝を迎えていました。

この記事が参加している募集

スキしてみて

お金について考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?