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見城徹 著「読書という荒野」 #熱狂書評

はじめに


今話題の箕輪厚介氏率いる「箕輪編集室」にお世話になってます。
さっそく見城徹氏の著書「読書という荒野」の書評をお送りします!

目次

・見城徹氏の著書との出会い
・「作家ともつれあって生きる」
・「表現者に対する想い」
・「死生観」

見城徹氏の著書との出会い

僕は見城徹が苦手だ。氏の著書「たった一人の熱狂」が話題になっていた時期に、書店で立ち読みをした。いくらページを繰っても繰っても全然ピンと来ないのだ。
ビジネス書ばかり読んでいる自分には刺さらなかった。
今思うと純文学テイストが混ざっていたからだと思う。
琴線に触れないのなら当然、手に取らず書店を去った。

「読書という荒野」では、幻冬舎の編集者 箕輪厚介氏が編集するということで注目していた。(後になって前著「たった一人の熱狂」も箕輪氏が編集されていたことを知った)
今回は手に取らず終わってしまうのか、はたまた読み通してしまうのか。
結論から言うと、「読書という荒野」では箕輪編集室の熱狂に巻き込まれ手に取った上、見城氏に共感と畏怖の念を抱くことになってしまう。

中でも「作家ともつれあって生きる」「表現者に対する想い」「死生観」に心打たれた。

作家ともつれあって生きる

僕は創業50年を超える製造業の企業に勤めている。業界で生き残るための哲学として「お客さんの懐に飛び込め」と上司に叩き込まれる。
これは見城氏が「作家と寝食を共にして”もつれるように”生きること」と通じる考えだ。
企業は利益を生み、つまり顧客に付加価値を与え続けなければ、途端に死んでしまう。もちろん手を抜けば取引は長続きしない。
気配り心配りを通り越して、相手の人生に深く食い込んで共に生きる。
酸いも甘いも乗り越えた幻冬舎は、出版業界の中でも健闘していることは自明だ。
と同時に僕が勤めている会社の先輩方の姿にも思いいたり、いろいろなご苦労があっただろうと感謝する。
本書では見城氏と”もつれた関係”となったさまざまな人物が登場するが、その誰もが見城徹に見初められた一流の作家ばかりだ。見城氏が幻冬舎として独立した際には頼もしい味方だったと思う。

表現者に対する想い

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「本物の表現者は例外なく「表現がなければ、生きてはいられない」という強烈な衝動を抱えている」

本書で表現者とは作家のことだ。
僕の中で表現者といえばアーティストDIR EN GREY(ディル アン グレイ)であり、彼らのことが大好きだ。ファンクラブにも入っている。(画像を公式サイトより引用)

DIR EN GREYの5人のメンバーの「表現がなければ生きていけない」ところに魅力を感じている。
表現する作品は、人間の痛み、目を背けたくなる現実だ。作品のなかには凝視に堪えられないものもある。
しかしながら逆説的に希望を表現しているのだ。さらに絶望を思わせるような内容であっても、長年築き上げてきたファンとの信頼関係は、どのアーティストのそれよりも強い。
メンバー5人ともそれぞれに味があって男前である。ライブをするたびに演出を練りなおし、今や芸術作品とも言われる。
ただただかっこいい。

(僕とDIR EN GREYの馴れ初めは下記参照のこと。)

見城徹の死生観

「読書とは自己検証、自己嫌悪、自己否定を経て、究極の自己肯定へと至る、最も重要な武器なのである、生きて行くということは矛盾や葛藤を抱えて、それをどうにかしてねじ伏せるということだ。」

僕はDIR EN GREY、箕輪厚介氏、見城徹氏の三者に同じ気概を感じる。
圧倒的努力で表現し生ききること。その先にわずかな希望を見すえる。

DIR EN GREYは、20年もの間譲れない信念を抱え、表現活動の制限を受けようとも発信し続けている。

箕輪厚介氏は、見城氏の熱狂にあてられ同化してしまった編集者だ。本書「おわりに」で見城氏が「箕輪が本書を編集するから、幻冬舎で出版する決意した」と吐露している。見城氏が惚れ込む表現者の一員となった証左だろう。

見城徹氏は幼少期の劣等感、時代を切り拓いていった表現者たちへの羨望を糧にして生きている。
実践者として立ち向かうべき荒野には、そこかしこに踏み絵が落ちていて気が抜けない。
それらを踏み抜くやいなや奈落へまっ逆さま、死に至る。
踏み絵を次々と踏み抜いていく時代の寵児たちを横目に、見城氏は劣等感に苛まれる。
死を畏れながらも、生を享受してしまう自分に。
反骨し圧倒的努力で生を全うする。
読書という荒野で一人立ちすくむ。

ところが見城氏は人生の最終コーナーをまがりゴールが見えてきたところで箕輪厚介氏に出会ってしまう。
もつれ合わずとも通じ合える同志に。

本当によかったと思う。

遅ればせながら、僕も“荒野”を這いつくばりながら前進していく所存だ。

「僕が考える読書とは、実生活では経験できない「別の世界」の経験をし、他者への想像力を磨くことだ。重要なのは、「何が書かれているか」ではなく、「自分がどう感じるか」なのである。」


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