彼岸花に会いたくて
昨日はなぜかどうしても彼岸花に会いたくなりました。彼岸花は紫陽花とともにえんじろうが好きな花です。やっぱり大きくて目立つからと言うのもありますが、とても不思議な「命」を感じる花であり、僕には特別な花です。
今回はそんな彼岸花の話題です。
どこに行った?
今年はお彼岸を過ぎても一向に見かける機会がなく、外を歩く際には多少注意しているつもりなのですが、未だにであっていません。近くにある公園など尋ねてみたのですが、そこは単なる公園で綺麗に整備されすぎていたためなのか、彼岸花は一輪もありません。もちろんゆく道の途中でも見つけられていません。
レッスンの帰り道
とある出張レッスンの帰り道、いつも乗っていたバス停を通り過ぎて、さらに次のバス停から乗車することにしました。川を渡れば土手がある。土手があるなら、そこに彼岸花を見出せるかも知れない。咲いている可能性のある場所を少しでも歩こうと思い立った作戦でした。
紅いからすぐに目立つそんな彼岸花ですが、橋の上から両端を眺めても一向につけることができませんでした。スマホのカメラで再確認しても、やっぱり見つからない。
そこで思い切って決断をします。さらに次のバス停まで歩くときめたのです。この区間は山道を1つ越えていくような区間になっています。バスの車窓からの眺めで何となく雰囲気はつかんでいました。森林浴も兼ねてそんな道を歩いてみるのもいいかなと思い立ったわけです。
導入はツクツクボウシ
そう思い立った原因の一つにツクツクボウシたちの鳴き声がありました。山路に向かって歩みを進める程に、鳴き声は多くなっていきます。今住んでいる場所では、クマゼミ以外の声はしませんから、なんとなく嬉しい気分になって引き込まれるように山道に入って行きました。
山路とは言ってもしっかり道路はあり、その両脇が緑に囲まれているという具合です。高い木や左から生い茂る葉っぱが伸びてきており、自分の体をさすって行く機会が何度もありました。まるで実家の道を散歩しているような感覚になります。
まっすぐな道から上り坂にかわり、バスの時にはそれも感じられなかったのですが、自分の足で歩くと、そういった地面の変化はしっかりと理解できます。そして今でも自分の足で歩けることにとても感謝を感じます。歩けるだけの視野があることにも感謝を感じられます。
なんとなく緑の景色をたくさん眺めていたくて、常に左を見ながら左側通行で歩いていました。バス停は左側だし、山道とは言っても一応歩道はあったのです。
謎の階段
登り坂が少し緩やかになったかなと思った頃、左手に鉄の階段を見つけました。みどりに生い茂った、雑木しかないと思っていた左側の空間に降りてゆくための階段。しかし頭を挙げられないほど雑木林が階段の上を覆っており、これを使う人なんているのかなと思うほどでした。
もうとっくの昔に使われなくなった階段なのではないかなどといろいろ想像を巡らせていると、突然「うん、忘れよう」という気持ちになりました。
彼岸花
さらに先に進むと左手に彼岸花を発見。1本の木の根元を囲むように1箇所に集中していました。球根で増える彼岸花は基本的に全て自分の完全コピーで、隣へ隣へと増えてゆくという話を聞きました。まさにそんなふうにして、この一点に集中しているんだろうなという想像がつきやすかったです。
そして何よりも悲願が達成したという気持ちでうれしくなりました。彼岸花なだけに(中年はひと言余分なんですよね?)
集落の気配
そこから対して歩むことなく、定期的なにわとりの声が聞こえてきました。なかなかリラックスしている感じで「コケコーッコ」という風に語尾が下がるのです。声色は普通に鶏の激しいそれなのですが、そのトーンのせいなのかすごく穏やかで平和な気持ちにさせられる声でした。
さらに少し歩みを進めると、今度は人の声も聞こえてきました。2、3人がしゃべりながら作業をしている感じの声。同時に何かの作業機械、多分ガソリンタイプの発電機かな?音だけでもいろいろなことが分かるものです。全ては左手の緑の空間の中から聞こえてくるのです。
降りられる階段
続いて少し進むと、今度は先ほどあったのと同じ鉄の階段が再び現れました。雑木も生い茂っていないので、ここなら降りることができそうな感じです。
いまだに聴こえる鶏の声。その声に誘われて、どうにも階段を下りて行きたい気持ちになりました。
踏みとどまる理由
ここは事実ではなく想像の話なので、間違いないで読んでくださいね。フィクションですよ。
最初にあったのは下りられない階段。そして彼岸花の出迎えが有り、突然雰囲気が開けたかと思うと、鶏の声と人の存在。そしてその直後に今度は降りられる階段の存在。彼岸花の前後で階段が降りられないものから降りられるものへと変わったのです。
あれっ、これなんかやばくないか?この階段を降りてしまったら、もう戻ってこられなくなるような気がする。そして自分もその住人となり、後から山道を歩いてくる人に安心を与える存在になるのかもしれない。そう、安心とともにその人を引き込む存在にもなるということだ。
彼岸花の存在も含めてふっと怖くなります。
というわけで、階段を下りることはやめてそそくさとその先に歩みを進めたのでした。
ちょっと話を盛る
後ほどこの道をよく知る人に、今日の体験お話してみたのです。するとその人は、その道に集落なんてないはずだよ。階段なんて聞いたことがない。本当に君の言っている道はその道なの?
何て言われたわけではないですよ。この部分はフィクションです作った話です。でも実際そうだったとしても納得できてしまいそうなほど不思議な気分になるひと時でした。
実際、鶏と共にそこに住んでいらっしゃる方々にとっては大迷惑な記事ですね。勝手に幻扱いするなって怒られそう。ごめんなさい。
彼岸花の写真
というわけで、そのとき撮影した彼岸花の写真をアップしておきます。
それにしても、咲いているうちに出会うことができて、本当に良かったなあと思いました。
実は昨年完成させた曲に「不思議な曼珠沙華」という曲があります。彼岸花の美しさと不思議な雰囲気。それからちょっぴり怖さも含めた曲です。つくつくぼうしをテーマにした曲もありましたね。
そして何よりも、音心の「心象風景」というCDに入っている「午後の散歩道」という曲は、今回の山道をあるいている感じともリンクしている曲です。
やはり自然の景色から着想を得られることがほとんどなのがえんじろうです。ご興味を持っていただけた方は是非聴いてみてくださいね。
#enjiro #えんじろう
#散歩 #彼岸花 #体験 #不思議 #いざない
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