見出し画像

プロとアマの話

なにか事を起こす際の「プロフェッショナル」と「アマチュア」という言葉について、音楽活動を始めた頃からずっと気になっています。自分の希望としてはそんな概念はどうでも良いことだから、くだらない分類はなくなって欲しいというものです。
しかし現実的に自分からこの言葉を利用しないといけない場面もあったりするなど、矛盾めいたものも感じたりしてなかなかの厄介者。

先日とある主催者様と僕のことをプロと紹介するのかどうかについてのやりとりがあり、その際に自分が答えた内容について後からちょっと心配になったのです。
そんなわけで今回はこれについて、改めて考えてみようと思います。

ビジネスカバンのイラスト

定義

まずはプロとアマそれぞれについての定義です。
先に答え合わせせずに、まずは現時点でえんじろうが思っているプロとアマの定義について語ってみますね。

えんじろう的定義

プロフェッショナル
「その行動をすることで対価を得て、生活している状態」
アマチュア
「愛好者としての喜びを大切に、その行動を続けている状態」

えんじろうの定義

ご覧になってお判りの方もおられるかも知れませんが、えんじろうがたどり着いている答えとしては、プロとアマは対比用語ですらないというところです。見ている点から違うのです。

この定義で考えた場合、えんじろうの状態はお仕事で行動しお金も得て生活しているということなので「プロフェッショナル」と言えます。ただし自分が求めている音楽や楽器への愛着や喜びというものも譲っていませんので「アマチュア」の要素も満たしています。
この「アマチュア」という言葉には、愛好者という意味も含まれているそうなので、こう捉えるのが自然に感じています。

私的にはお金についてのお話のときには「プロ」を自称しますし、オカリナと関わる人達との対話の際には、自分の愛好者のひとりであるという意味でならば「アマチュア」の1人でもあると考えられます。

判りやすい定義

プロフェッショナル
「芸術やスポーツなどを、職業として行う人」
アマチュア
「芸術やスポーツなどを、職業でなく趣味として楽しむ人」
セミプロ
「本業と趣味の程度が同等で、半ば職業化している」

違い比較辞典より

目的による分類ということですね。こちらは判りやすく、職業なのかそうでないのかの対比で書かれていました。
えんじろうに当てはめると「プロ」ですが、楽しんでいる部分はありますから「アマ」の要素がまったくないとは言えない気もしましたね。
またセミプロという分類も記されていましたが、えんじろうは本業がこれなのでセミプロではありませんでしたね。

重めの解釈

少し重い書き方ですが、こういった比較した捉え方もあるようです。もはや「プロ5か条」的なノリに見えますけど。

1.プロは仕事。アマは趣味
2.プロは常に高い完成度を。アマは楽しさを重視する
3.プロは己を律する事ができ、アマは律せずとも良い
4.プロは強く己を信じられ、アマはあくまで楽しく
5.プロはしっかり休み。アマはついダラダラ休んでしまう

イケジョ通信より

4と5は3の「己を律する」に含むことができる気もしますので、3か条でも良い気がしますね。だって3が判っていれば、4と5は思いつくだろうから余計なお世話に見えました(笑)
そう考えると3は1の手段と言うこともできて、結局大切なのは1ということになりますね。後のはどれも1を実現するための方法に含められますね。

ただ意外と見落としていたなと感じたのは2でした。
えんじろうは自分が聴いてこれはお金払って買うと感じられるところまでは完成度を求めていますし、それが叶って初めて「楽しいな」になります。完成していないのに楽しいという状態が、想像できませんでした。この感覚になにか大切なものがあったりして。

意味を外れた解釈

最後にもうひとつ、えんじろうが「なにこれ?」と思った視点での解釈も見つけましたので、ご紹介です。これも比較で書かれていますが、相当アマチュアに対する悪意にも見える言い回しが列挙されています。
あっけにとられたり、ちょっとムカッと思ったりしたから、整理してみました(笑)22個もあるので、覚悟してください。

 1.プロは人間的な成長を求め、アマは現状維持に甘える
 2.プロは肯定的で粘り強く責任感があり、アマにはそれらがない
 3.プロは他人と自分の幸せがリンクし、アマは自分優先
 4.プロは自己投資を行い、アマは自己研鑽を怠る
 5.プロは誇りを持ち、アマは愚痴や言い訳をする
 6.プロは未来のゴールに、アマは過去と目先の欲望に向かう
 7.プロは力を貸す仲間が、アマは傷を舐め合い足を引っ張る仲間がいる
 8.プロは経験に頼らず可能性に挑戦、アマは狭い経験で挑戦はしない
 9.プロは想いが強く信じ込め、アマは想いが弱く気まぐれ
10.プロは出来る方法を、アマは出来ない理由を考える
11.プロは明確な目的を持ち、アマは目的が漠然としている
12.プロは自分の道を切り開き、アマは人に依存し流される
13.プロは変化を機会と歓迎し、アマは脅威と恐れる
14.プロは寛容で視野が広く、アマは狭量で視野が狭い
15.プロは成果労働に着目、アマは労働時間や行程に着目する
16.プロは先を予感し未来を創造し、アマは事後から行動する
17.プロは専門性と広い視野、アマは稚拙な専門性と狭い視野を持つ
18.プロは論理的に議論し決断速く、アマは感情的に議論し迷う
19.プロはコスト意識高く、アマはコスト意識低く無駄を重ねる
20.プロはグレーや第3案を考えるが、アマは2択
21.プロは公平を主張し、アマは平等を主張
22.プロは過ちを認め修正するが、アマは認めない

プロサーチジャパンより

どうですか?これを考えた人は、昔ここで言われるアマチュア的な人に酷い目に合わされたのではないかと思ってしまうほど、悪意も含まれているように感じてしまいました。
おそらくほぼすべての人がこの定義だとプロとアマの中間になってしまうのではないでしょうか?全部プロ側と思えた人は、すごすぎます。

分析と整理

それでは大変ですが、ちゃんとひとつずつに真面目に向き合ってみます。まず被っている項目が複数感じられたので、それらをかなり真剣に悪意を削り取りながら整理してみましたよ。
まずは成長意欲の有無、目的意識の有無、積極性の有無、プライドの有無、投資判断力の有無、肯定感の有無。次は視野の広さ、客観性の有無、判断基準が公平か平等か、成果の基準が結果か行程か。そして柔軟な対応力の有無、利他的か利己的か、高め合う仲間の有無。
こんな風になってきました。これを次の3つの分野に大別してみます。

白紙の暑い本のイラスト

すなわち「成長意欲」「観察能力」「外交力」です。なんか「すなわち」って言葉を使うと頭良いみたいで気分が良いですね(実際はウルトラマンのシュワッチ的な感覚で使っているおバカですが)
これは正直「プロ」動向というよりも、リーダーとして働く者の理想みたいな話に見えてきますね。

自分はこの理想からいくとどれだけのことが満たせているのだろうか?考えるのがやや怖いですね。

学べたこと

結局のところ自分が思っている定義を変える気がないわけですが(おいっ)
調べたことで色々と感じるものもありました。最後のやつなんかは、悪意は取り除いてもちょっとハッとする部分もあったりして、よい機会になったなあと感じています。

具体的に何にはっとしたのでしょうか?自分で分けた分類に従って、書き綴ってみようと思います。

1.成長意欲

投資判断力の有無がドキッとしています。時々は采配を間違うこともあるかなと思ったりします。

2.観察能力

視野の広さは弱いです。おかげで悩まず済むというのもあるのですけどね(肯定的でしょ?)。
それから判断基準が公平か平等かというのは、それ自体が難しい捉え方で判断しきれていません。公平と平等の違いについては、また別の記事でちゃんと考えてみたいかも。
そしてドキッとしたのは成果の基準が結果か行程かというやつ。まだまだ結果に徹した判断ではないかも知れないなと思います。

3.外交力

ほぼ全部が恵まれているなあと感じますが、事態への柔軟さは出てきてますが、対人の柔軟さは全然なのですよね。永遠の課題ですが、そこまで完璧人間になれる気もしませんね。

さっそうと歩くビジネスマンのイラスト

まとめ

自分ではそこまでチャランポランだとは思っていないのですが、平均値からしたらどうなるのでしょうね。結果が出たからってどうにかするわけでもないように思うけど、それでもちょっと気になっちゃいますね。
皆さんはどうでしたか?

まあ僕の活動の「真の目的」は、思春期の自分に安心して生きられる時間を与えてくれた「オカリナ」への恩返しです。
恩返しはこの楽器のために曲を作って、それをイメージ通りに演奏して、そうやってできた曲をより多くの方にも広げて演奏してもらえるようにすること。そうやって多くの人にオカリナを好きになってもらうことが、自分にできるオカリナへの恩返しだと信じています。

これだけは絶対にブレないという自信はあります!



#enjiro #えんじろう
#プロフェッショナル #アマチュア #音楽活動 #定義 #学び
#オカリナ #楽器 #感謝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?