禅問答ファンタシー
禅には公案(禅問答)があります。
この千数百則あるとも言われる公案を全て解ければ、晴れて「老師」(禅マスター)スターウォーズでいうJEDIになれるというわけです。
禅の公案では常識が一切通用しません。GoogleやAmazonなどの入社試験の様なものです。
これは実際にGoogleの入社試験の問題です。
あなたは10円玉の大きさに縮められて、ミキサーの中に入れられました。
ミキサーの刃はあと60秒で動き出します。さて、どうする?
きっとGoogleなどもそうだと思いますが、禅の公案では、どれだけの知識があるかではなく、どれだけ智慧があるかを試しているのです。
智慧とは「どうしようもないときに解決できる生きる力」のことです。
私たちは学校で長い間、問題には必ず正解があると教育されてきました。そして私たちはその正解は一つしかないと思い込んでいます。
例えば、こんな問題があるとしましょう。
男の子が5人、女の子が3人いると、合計何人一緒に遊べるでしょうか?
普通に考えれば、8人と答えます。しかし男の子と女の子が一緒に遊ぶとは限りません。一緒に遊ばないなら8人という答えは正しくありません。
もう一つ例を挙げましょう。
氷がとけたらどうなる?
ほとんどの人が、「水)と答えます。
しかし、「春が来る」と答えても決して間違いではありません。
もし理科の時間で、「水)ではなく「春」と答えた子どもがいるとしたら、「春」と言う答えも正解にしたいですね。
しかし今の教育では不正解・間違いと教えます。これでは子どこの創造力は全く伸びていきません。
そんな常識と思われている思考停止状態の私たちの考えに待ったをかけるのが、禅の公案(禅問答)です。
禅の公案の最大の目的は、分別を辞める事、無分別の智慧を獲得するためです。私たちが日常使う分別と言う言葉は、常識があるという肯定的な意味で使います。しかし、禅では、良い悪いを分ける(別ける)ことによって対立が生まれる、「私が正しい」VS「あなたが間違っている」というように悪い意味で使い、分別から苦しみや対立が生まれると考えます。その苦しみや対立から解脱するための方法が禅の公案なのです。
禅宗の修行道場に入門して最初に渡される公案が、「隻手の音聲」です。
詳細はコチラ👇
普通は両手で手を叩くと音がしますが、「片手で鳴る音はどんな音か」という問題です。普通に考えれば、音なんて出ません。そんな当たり前のことを敢えて問題にするのですから、「音が出ない」という答えを求めているわけではないことはわかります。
ではどのように応えればいいのでしょうか。困りました・・・
このように、禅問答はどうしようもない時にどうするか、究極な判断でも対応できる肚の力、丹田を鍛えます。
僧堂では、この問答の正解の一つは、「片手を出す」ことが正解です。
しかし、手の出し方、タイミング、肚のすわり具合など、全てが老師の波動とマッチしていなければ正解にはなりません。
皆さんならどんな風に応えますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?