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匂いっていうものはとても残酷で美しい。

わたしは昔から香水がすきだ。
CHANELもGivenchyもdiptyqueもTOM FORDも。

ザ・大人の女性という香りが好みで、苦手なのは甘ったるいかわいらしい香りやアジアンなもの。


わたしは香水を季節によって使い分けている。

春はdiptyqueのオーローズ
夏はdiptyqueのオレーヌ
秋冬はCHANELのガブリエル

周りの人間はこれで季節を感じることもあるらしい。この香りといえばわたし、というものが定着することはなんとなく嬉しい。


部屋には京都のフレグランスショップで買っているヒノキのアロマオイルを。お手洗はAesopのPost poo dropsを、ネーミングセンスが好きではないが香りが好きだ。


身の回りは心地のいい香りで固めている。
人一倍鼻が敏感なため、強すぎる香りや苦手な香りに耐えられない。香水も手首に1プッシュはキツイので、空中にひと吹きしてその中をくぐっている程度。

だが、街中でエンカウントする香りは避けようがない。

香りというものは、忘れていた過去に一瞬で引き戻す力を持っている。普段出会う頻度が少ないほどその効果は増す。

もう会うことができないがとても会いたい人の香り。
昔のバイト先の香りや、車の芳香剤。
誰かが吸っていた煙草の香り。

わたしはもうIQOSに切り替えてしまったので自分から煙草の香りを感じることが無くなった。何年セブンスターと共に暮らしたのだろうか。

今でも年に数回セブンスターを開けることがあるが、それは私にとってとても大事な人と会う時だけだ。そして相手はそれが特別だと知らない。その人はもう何年もわたしはセブンスターを愛す女だと思い続けている。


忘れているはずなのになぜか思い出せる。
あの瞬間の切なさはどうにも言葉にしようがない。

その時とは環境も関わる人も変わり、懐かしい香りだねなんて誰かと言葉を交わすこともない。言葉にしても伝わるはずがないものだ。

自分の中でだけひっそりと、大切に奥の方にしまってある記憶なんだろう。誰にも触れられない、自分でも都合よく引き出せないところに。隠れた人生のハイライトのよう。

私の身にまとう香りも昔からあまり変わっていないが、誰かがどこかで同じような切なさを感じることがあるのだろうか。

香りというものは千差万別、絶対に形にできない人生のアルバムのようなものであり続ける。鼻が効かなくなるそのときまで。

嫌でも誰かの中に入り込めるものだ。時にはとても重く、大きく。そして一生消えることはないくらいに。

写真や音楽が勝てるはずがない。もう一度あの香りをと願ったところでほとんどが叶いようがないものなのだ。

たとえそれが販売されている香水だったとしても、香水の性質上付ける人によって体温やさまざまな要因によって香りが変わる。

願ったところで出会えない。もう二度と出会えない香りというものは呪縛にすらなり得る。どれだけ求めてももう二度と鼻を通ることはなく、その香りに付随してくるはずの鮮明な思い出たちを思い出すこともできない。


香りというものはとても美しく、そして苦しくなるほどに残酷だ。

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