宗教
今回はわたしの宗教観について書いていく。
前提としてわたしは日本生まれ日本育ち。両親共に日本生まれ日本育ちの生粋の日本人だ。実家は名前だけの浄土真宗西本願寺派で仏壇や神棚などない。地下鉄サリン事件の1カ月前に生まれたりしている。
宗教について知ることがとても面白く、個人的に長年探求している。
まず人生で初めて宗教というものに出会ったのは高校生だ。選んだ高校がたまたま浄土真宗系列の私学で、親鸞聖人に由来するイベントがあったりしたが特に気にしてはいなかった。初めて大きな衝撃を受けたのはアメリカに留学した時だった。高校2年生の夏だ。
初めに2週間インディアナポリスで集団研修を受けた。タイから来てた女の子と同部屋で暮らすように言われた。その子はおそらく上座部仏教を熱く信仰していたのだろう。寝る前に真っ暗な部屋でいきなりお祈りを始めた。壁に向かって何度も頭を下げてはぶつぶつと何か言っている様がとても恐ろしく感じてしまった。わたしは怖くなって3日で部屋を個室に変えてもらった。何も知らなかったわたしにとって今でも忘れられない衝撃的な夜だった。
そして研修が終わると各自ホストファミリーに迎えられる。わたしはブラジル人の女の子と2人で1つのファミリーに迎えられた。
全員が揃った初めての夜、会議が開かれた。私たちはプロテスタント。あなたたちはどんな宗教を信仰しているの?と。ブラジル人の女の子はカトリックだよと言った。わたしは答えられなかった。
それは彼らにとって逆に衝撃的だったようだ。日本なんて国は名前とパールハーバーとニンジャしか知らない。そしてその国の人たちは何も信仰がないってどういうことだ?!となるのだ。
勉強した今ならなんとなく分かるが、当時のわたしにとっては何がそんなに衝撃なのか、逆に私の方が衝撃なんだが。なんて思っていた。
それから1年間はプロテスタントの教会に毎週連れて行かれた。めんどくさいし意味がわからないしで、半年後にはズル休みを何回もした。
仲良くなった女の子はわたしの無宗教のような概念にあてられキリスト教を信じることをやめてしまった。生まれた時から当たり前に信じていたものが分からなくなり、その子が別人のように変わってしまうのも見てしまった。
それから日本に帰国してからもわたしは宗教というものが恐ろしくて嫌悪感を持っていた。今思うと、ただ知らない思想が怖かっただけだろうがどうしても受け入れがたかった。
その次の宗教との出会いは社会人になってからだった。ミャンマーの人々が多く集まるイベントでタイの子以来に上座部仏教に出会った。
そのイベントではミャンマーの映画祭で受賞した作品が上映されていた。わたしはふと覗いたその映画にとてま衝撃を受けたのだ。老若男女、小さい子供たちも見ている映画の中で、動物が残虐な扱いを受けている様子がモザイクもかけられずに映されていたのだ。日本では絶対にありえないだろう。わたしは全く見れなくて一瞬で目を背け耳を塞いでしまった。
よく聞くと、こういうものを見せてトラウマのようにして、上座部仏教においてしてはいけないことを教えるのだという。
わたしには理解ができず、また宗教が怖いものだと思ってしまった。
それから数年経ち、自分の特性や周りとの違いを考えていくうちに宗教の沼にハマる。宗教というものを知ることによって怖くなくなるのではないかと。
また追って何を調べたか勉強しているかについてはまとめていこうと思う。
結果、現在わたし自身の信じる宗教は神道に近い。自然宗教、まさに文化に染み付いているものがわたし自身にも受け継がれているとおもう。
間違いなく仏教徒ではないのだ。輪廻転生を信じてはいないし、仏さまになるために善行をしようだとか念仏を唱えようだとか思えない。
海や山、土地や建物に神さまはそれぞれいると心のどこかで思っている気がする。お祈りはしないが、なぜかそう思う。自然が好きだしよく出かけるが、友人とあの山には神様いそうな気配がするよねだとか言って盛り上がる。
昔から強運で人に恵まれているため、強い何かに守られているとも思っている。道行く謎のおばちゃんにあなたは龍神さまがついているよとか言われたことがある。なんとなく分かる気がする。ご先祖さまの加護も強そうである。
とまあ、こんな感じのゆるい宗教観なのだがわたしの夢として、強く信じられる一神教に出会ってみたいというのがある。キリスト教やイスラム教でも良いし、新興宗教でも良い。心から信じ、ハマってみたいのだ。人生をかけて信じられるものに出会えるなんてそんな幸せなことはない。
宗教と科学は水と油、寄せてはならないとおもう。宗教と哲学は鬼に金棒。
いまはインド哲学とヒンドゥー教にとても興味があると同時にゾロアスター教、宗教のはじまりから発展を勉強していっている。また禅宗の知識も増やしたい。
調べれば調べるほどに知れば知るほどに、世界平和なんて無理なのだと感じている。お互いを尊重するなんて無理な話なのだ。
正直な話、わたしは日本に異宗教徒の移民を多く迎えることを快く思っていない。それは他宗教の弾圧や迫害などそういう話ではなく、文化があまりにも違いすぎるため共生などハナからうまく行くわけがないと思っているからだ。
日本の多くの人々は国民性もあり、他国に行ってまで大乗仏教や神道を押し付けるようなことはしないだろうが他の宗教は違う。宗教で国が出来上がり、法律ができていて文化ができているのだ。
多神教には多神教だ。一神教同士はもちろんのこと、多神教と一神教が分かり合える時なんて来るはずないし、尊重し合える世界なんてない。
真に世界平和を願うなら、きちんと棲み分けないといけないと強く感じる。
日本という美しい国が数年後に消えるなんてことが無いように願いつつ。
これはいま現在のわたしの頭の中であり、明日には変わっているかもしれない。ただの記録として残しておく。
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