#72 純喫茶日記
純喫茶。
純喫茶という3文字は、私の心をたいへん躍らせてくれる。たったの3文字なのに、つよい力を持っていると思う。
今日はずっと行ってみたかった、路地のひっそりとした所に潜む"純喫茶"に潜入した。
まず入ったらベルを鳴らす仕組み。店内には蓄音機やたくさんのレコードと本、ピアノが2台。
「手が空いたらまた来ますからね〜」と気さくでおもしろそうな雰囲気のある店主が言って、席に通してくれた。
なんと、メニューが全て手書きである。
「マスターがいる時しか出ないティラミス」
「次食べようと思ってももう遅いですよ」
「洋菓子が飽きた人にオススメの鯛焼き」
「注文した品が待てる人に入店していただいております」
メニューの脇には、落書きのような文字で、鉛筆であとから書き加えられている文字もいくつか見える。
珈琲も凝った名前、月の光 や 運命 などと書いてある隣に、わかりやすく「うすい」「こい」「とてもこい」と追記されている。
なんだか愛おしい。たくさんの時間を掛けて、書き加えられて、このメニューが作られて来たことが伝わる。
それはお店自体の雰囲気もそうで、お客さんが書き込めるノート、であったり、1人で来たお客さんがマスターとともだちのようにコミュニケーションをとっていたり(あたりまえのようにピアノを弾いていたり)することから、
ひしひしと伝わってきた。
ティラミス と 珈琲(こい)を頼んだ。
その、ティラミス。ティラミスが、ティラミスがもうとにかく美味しすぎたのだ。
牛乳のようなさっぱりした甘味をまとっていて、底に染み込んでいる苦いスポンジと合わせると、さらりとものすごくちょうど良い甘さになる。
コーヒー豆の形のチョコレートが1番上にちょこんと乗っていて、かわいらしかったので大事に見守ってから食べた。
堪能してお会計を済ませ、
「ティラミス中毒になって禁断症状がきっと出るからそのうちまた来てね〜おやすみなさい」
とマスターに見送られて店を出た。あ、あたらしい。すき。
禁断症状は、明日にでも出そうだ。
ところで 純喫茶 と 喫茶店 何が違うのだろうか。
なるほど。お酒を扱わず、純粋に珈琲だけを提供するのが"純"喫茶ということか。
純喫茶は、ずっと変わらないものが強く、それに変わっていくものが少しずつだけ混ざりあっているような空間だった。変化を、純喫茶自体が楽しんで受け入れて、かつ大きな軸がぶれていない、というような。媚びない寛容さ。
純喫茶、良いなあ。
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