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仏教新論(佼成出版社)

日本ロボット学会の名誉会長であり、ロボコンの創始者。
同時に、40年以上に渡る禅および仏教の研究者。

機械としてゼロから創造しようとする営みは、「人とは何か」を追求することであり、必然的に宗教にも行き着くものらしい。
私たちがいま慣れ親しんでいる物理的な要素分解された身体観や世界の認識の仕方は、世界の成り立ちを説明する「一つの考え方」でしかない、ということを、まざまざと実感させられる。

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この書籍で一貫しているテーマは、仏法全体が「一つ」によって貫かれていることである。

四弘誓願の第三句に、法門無量誓願学とあるように、仏法には非常に多くの法門(仏教の教えの一つ一つ。衆生が真理に到達するときには必ずそこを通るので「門」という字が付いている)があり、法門それぞれの意味内容は異なっていはいるものの、どれもが共通して根本的なところでは、正反対の二つ(二元)が融合して、一つ(一原)になっているという形をしていることに気付かされた。その瞬間、ああ美しいなという感覚が全身をよぎったのだった。(P.18)

レンマ学に書かれていることにも通じるが、ここにあるような「二元的なもの」を「一つ」と捉えることは、論理的には到達し得ない。本書でもこれは「理解ではなく理会」だと何度も説明している。

機械的な組織から生命的な組織へ、という転換を語るときに、いかにして「個人」と「全体」が一致するかがテーマになる。
人は自分が当事者である事柄にしか、絶対に「当事者意識」は持てない。「個人」の一つ一つの判断が「全体」にとっても良い判断になる(言い換えれば個別最適ではなく全体最適になる)ためには、「個人」が「全体」と一致することを目指すことが望ましくなる。
生命的な組織において「情報の透明性」が重要だと繰り返しているのはそのためだ。

一方で、情報の透明性だけからのアプローチは、どこまでいっても論理的な世界の延長線上にしかない。この本で語られているような「理解ではなく理会」の境地で捉えられる人が組織の中で増えたならば、情報の透明性が不十分だったとしても、個人と全体の一致は実現するのではないか。そんな可能性を考えさせられた。

#仏教 #生命的な組織 #宗教

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